化野(あだしの)は、京都嵯峨の奥に位置する小倉山麓手前の緩やかな傾斜地です。
仇野・徒野とも書かれます。
かつて平安京三大葬送地の1つとして多くの遺体が葬送された場所でした。
化野を詠んだ歌も数知れずあり、その名は「無常の野」の意として人の世のはかなさの象徴としても用いられた場所でもありました。 “【化野】平安京西側にあった三大葬送地の1つ” の続きを読む
日本の歴史をできる限りをわかりやすく
化野(あだしの)は、京都嵯峨の奥に位置する小倉山麓手前の緩やかな傾斜地です。
仇野・徒野とも書かれます。
かつて平安京三大葬送地の1つとして多くの遺体が葬送された場所でした。
化野を詠んだ歌も数知れずあり、その名は「無常の野」の意として人の世のはかなさの象徴としても用いられた場所でもありました。 “【化野】平安京西側にあった三大葬送地の1つ” の続きを読む
いずれも室町時代における軍事勢力の長の呼称である守護大名と戦国大名の違いを説明できますか。
学術的な細かい定義はおいておいて、ざっくり一言で行ってしまうと、室町幕府によって守護職任命されてその権威をもって分国を支配する者が守護大名であり、自らの軍事力・経済力によって領国を支配する者が戦国大名です。
イメージとしてはそれほど違いがないかのように思えてしまうのですが、権力の背景の違いから、大名の居住地・領国の実務支配者・居城の位置・国人に対する影響力の程度など、実際には多岐に亘る大きな違いが存在しています。
本稿では、この守護大名と戦国大名の違いについて、その成り立ちから簡単に説明したいと思います。 “【守護大名と戦国大名の違い】” の続きを読む
樟葉宮(くすはのみや)は、古墳時代に即位した大王(第26代)天皇である継体天皇が即位した宮殿です。
先代であった第25代武烈天皇が後継者なくして崩御されたため、越前国を治めていた継体天皇が次期大王(天皇)として迎えられることとなりました。
このとき、継体天皇は、越前国を出て当時の都であったヤマト(現在の奈良県桜井市)に向かっていたのですが、その道中で即位することとなり、即位をし、さらにその後4年間に亘って滞在した場所が河内国樟葉の樟葉宮です。
ヤマトに向かっていたのになぜ河内国樟葉で即位したのか、その後なぜ樟葉宮に4年間も滞在したのかなどの詳しいことはわかっていません。
また、樟葉宮跡地についても伝承地とされており、必ずしも正確とは言えないのかもしれませんが、古代を偲ぶ一助となればと思い、本稿では樟葉宮について簡単に紹介したいと思います。 “【樟葉宮】大阪府枚方市にあった継体天皇即位宮殿跡” の続きを読む
奈良奉行所は、江戸幕府が地方の主要都市に設置した遠国奉行の1つであり、奈良廻り八カ村の行政・訴訟、大和国内の寺社支配を職掌とする役所です。奈良町御奉行・南都町奉行・南京奉行とも呼ばれます。
慶長18年(1613年)に中坊秀政が奈良奉行に任命されたのをはじめとして江戸末期まで42代に及ぶ奉行が任命されました。
有事の際には、上方から江戸までの繋ぎの城の機能を持っていたため、その他の地域の奉行所と比べても異常なほどの巨大な要塞でした。 “【奈良奉行所】大和国に築かれた江戸幕府の繋ぎの城” の続きを読む

「本町の曲がり」とは、現在の大阪市中央区内を南北に流れる東横堀川のうち、本町橋(北側)と農人橋(南側)との間にある折れ曲がり部分をいいます。
東横堀川開削時にできた謎のクランクであり、自殺の名所として有名な場所でもありました。
現在までにクランクは緩いS字カーブに造り変えられまたその上空には阪神高速の高架が架けられていますので、現在の姿は往時の姿ではないものの、往時の名残が残る場所となっています。
本稿では、この本町の曲がりについて、その完成の経緯から簡単に見ていきたいと思います。 “【本町の曲がり】東横堀川にあった謎のクランク” の続きを読む
智積院(ちしゃくいん)は、現在の京都市東山区にある真言宗智山派の総本山の寺院です。
開山は玄宥僧正、山号は五百佛山(いおぶさん)、寺号は根来寺(ねごろじ)となっています。
京都の東山にある寺院であるにもかかわらず、根来寺という和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山寺院の寺号が付されているのには悲しい歴史的沿革があります。
本稿では、智積院観光が楽しめるよう、京都東山に建てられて真言宗智山派の総本山にまでなった歴史を踏まえ、智積院について簡単に解説していきたいと思います。 “【智積院】京都東山にある根来寺” の続きを読む
大阪市西成区「天下茶屋」や、大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の「天下茶屋」駅の由来をご存じですか。
大阪の天下人ゆかりの茶屋があったことからその名が付されました。
本稿では、この「天下茶屋(てんがちゃや)」という地名の由来について、簡単に説明していきたいと思います。 “【天下茶屋の地名由来】天下人・豊臣秀吉の茶屋” の続きを読む
低い身分から成り上がり、ついには天下人にまで上り詰めた人物として有名な豊臣秀吉ですが、実は死ぬまで羽柴秀吉だったことご存知ですか。
羽柴秀吉から豊臣秀吉に改名したかのようなイメージを持ちがちですが、実際には違います。
豊臣=氏・羽柴=名字(苗字)であり、豊臣氏を下賜された後も羽柴という名字を変更していないため、豊臣秀吉は死ぬまで羽柴秀吉だったのです。
死ぬ直前の名乗りは、豊臣朝臣太閤羽柴秀吉であり、羽柴という名字を最期まで使用しています。
本稿では、戦国時代頃の名前の付け方を踏まえて、豊臣秀吉の名前の変遷について説明したいと思います。 “【豊臣秀吉の名乗り変遷】実は最後まで羽柴秀吉だった豊臣秀吉” の続きを読む
大阪市生野区「鶴橋」や、近畿日本鉄道(近鉄)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の「鶴橋」駅の由来をご存じですか。
これらは、旧自治体名の東成郡「鶴橋」町由来するのですが、この行政区画がその名のとおりの「つる」の「はし」に由来し、さらにはその前の猪甘津の橋にまで遡ります。
本稿では、この「鶴橋」という地名の由来について、簡単に説明していきたいと思います。 “【大阪「鶴橋」の由来】文献上に残る日本最古の橋の名残” の続きを読む
これまでに日本国内に2万とも3万とも言われる城が築かれました。
そのうち、現在、城址としてその名残が残っているのは僅かであり、さらに一般人が見学して楽しめるのは数百城程度しかありません。
また、このうち、江戸時代以前に建てられた三重櫓が現存しているのは、僅か8城12基しかなくとても貴重です。
本稿では、この現存する貴重な12の三重櫓について簡単に紹介していきたいと思います。 “【現存12三重櫓】江戸時代から残る8城12基の三重櫓について” の続きを読む