【青野原の戦い】北畠顕家の運命を変えた南北朝時代の関ヶ原

青野原の戦い(あおのがはらのたたかい)は、南北朝時代の延元3年/暦応元年(1338年)1月28日から1月29日にかけて、美濃国・青野原で発生した、南朝方の北畠顕家軍と、北朝方(足利尊氏方)の土岐頼遠らとの戦いです。

後に、天下分け目の関ヶ原の戦いが行われたのと同じ場所で行われた、南北朝時代の決戦です。

なんとかこの戦いに勝利した南朝方の貴公子・北畠顕家でしたが、被った損害も大きく、その後の敗死に繋がってしまう重要な戦いでした。

以下、南北朝時代の関ヶ原とも言える青野原の戦いについて、その発生原因から見ていきましょう。 “【青野原の戦い】北畠顕家の運命を変えた南北朝時代の関ヶ原” の続きを読む

【四條畷の戦い】小楠公・楠木正行が敗れ、観応の擾乱の引き金となった戦い

楠木正成(大楠公)の嫡男である楠木正行(小楠公)が、敗死したのが四條畷の戦いです。

実際には、四條畷ではなく野崎と北四条で戦っていますので、合戦名には若干の違和感もありますが、一般に知れ渡っている呼称に従って、本稿でも四條畷の戦いと表記します。

楠木正成が湊川の戦いで敗死した後も、北畠顕家・新田義貞ら南朝方の主要な武将が敗れて死んでいったため勢力が落ちていく南朝を支えようと奮闘し、23歳の若さで散った楠木正行の戦いぶりは涙腺を刺激するものがあります。

本稿では、若武者・楠木正行の最期を飾った四條畷の戦いについて、その発生機序から順に見ていきましょう。 “【四條畷の戦い】小楠公・楠木正行が敗れ、観応の擾乱の引き金となった戦い” の続きを読む