【道明寺の戦い・誉田の戦い】後藤又兵衛が戦死した豊臣軍と徳川大和方面軍との合戦

道明寺の戦い(どうみょうじのたたかい)・誉田の戦い(こんだのたたかい)は、慶長20年(1615年)5月6日に発生した、徳川・大和方面軍と豊臣方迎撃隊との間で発生した野戦です。

大坂夏の陣のクライマックス直前の戦いの一つであり、後藤又兵衛(後藤基次)が戦死した戦いでもあります。

以下、道明寺の戦い・誉田の戦いについて、その発生経緯から順に説明します。 “【道明寺の戦い・誉田の戦い】後藤又兵衛が戦死した豊臣軍と徳川大和方面軍との合戦” の続きを読む

【島原の乱】幕府を鎖国へ導いた江戸時代最大の内乱

誰もが一度は耳にしたであろう島原の乱。

島原・天草の乱、島原・天草一揆とも言われる江戸時代初期に起こった日本の歴史上最大規模の一揆です。

宗教戦争であるとか、厳しい年貢に反発した一揆であるとか様々な説が唱えられる戦いでもあります。

島原の乱により鎖国が始まり、以降明治維新に至るまでの江戸幕府の本格的戦争といえ、歴史的意味は絶大です。

本稿では、そんな島原の乱について、発生原因から、戦の経緯、事後処理について順に見ていきます。

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【禁門の変】過激な攘夷思想で孤立した長州藩が朝敵となった戦い

崇高な思想を掲げて過激な攘夷運動を繰り返す長州藩が政権内で孤立し、ついには武力によって朝廷に働きかけようとして失敗に終わるという禁門の変(別名:蛤御門の変)とそこに至る経緯について、主に久坂玄瑞の目線から簡単に説明したいと思います。

なお、久坂玄瑞らが京都御所で戦っている間、桂小五郎(後の木戸孝允)も興味深い動きをしていますので、余談として禁門の変の最中の桂小五郎の動きについても見てみます。 “【禁門の変】過激な攘夷思想で孤立した長州藩が朝敵となった戦い” の続きを読む