崇徳上皇は、日本の歴史上で最強の怨霊となったとされる人物です。
日本では、強い恨みを残してこの世を去った人物は怨霊になって禍をもたらすと言われており、またその禍の程度は恨みの程度に加えてその者の生前の地位に比例すると言われています。
強い怨霊となった人物が日本三大怨霊として括られ、菅原道真・平将門・崇徳上皇がそこに挙げられるのですが、このうちでも崇徳上皇が最強の怨霊としてその地位を盤石なものとしています。
その理由は、血縁上は鳥羽天皇の子として産まれながら、実際は鳥羽上皇の妻と鳥羽上皇の祖父である白河上皇との不倫により産まれ子であったことから、鳥羽上皇に徹底的に嫌われた人生を送ったことに始まります。
そして、その結果として、弟である後白河天皇と朝廷を2分する争いを起こして敗れて讃岐国に流され、同地で非業の死を遂げたことによります。
この悲しい末路から、後に宮中に起こった不幸の全てが崇徳上皇の怨霊によるものであるとされ、伝説的な怨霊伝説に繋がることとなったのです。 “【崇徳上皇怨霊伝説】日本史上最強の怨霊の誕生からその鎮魂まで” の続きを読む