摂関政治(せっかんせいじ)とは、平安時代前期に摂政が天皇の代理人(天皇が幼少・病弱などの理由により政務を行うことができない場合にこれに代わって政治を行う役職)となり、また関白が天皇の補佐人(太政官からの意見を成人天皇に奏上する役職・令外官)となることにより、これらが天皇に代わって政治を行う政治形態を言います。
藤原氏が外戚の地位を利用して摂政・関白をはじめとする朝廷の要職を独占したことから藤原摂関政治とも言われます。
摂政という役職自体は奈良時代からあり、当初は天皇の代理人という職責の強さから元々は皇族のみが就任できる役職だったのですが、貞観8年(866年)に藤原良房が人臣初の摂政に任じられ、また仁和3年(887年)11月17日に新たに関白職が設置されて藤原基経が就任したことにより、藤原氏の人間がこれらの職に就いて天皇に代わって政治を行う政治形態となり、平安時代前期の藤原氏の栄華の代名詞となりました。
この藤原摂関政治は、貞観8年(866年)に藤原良房が人臣初の摂政に任じられた後、白河院が院政を始めた応徳2年(1086年)まで約220年間もの長きに亘って続きました。
本稿では、藤原氏による政治=藤原摂関政治の始まりについて、そこに至る経緯から順に説明していきたいと思います。 “【藤原摂関政治の始まり】外戚の地位を利用した藤原北家による権力独占の経緯” の続きを読む