平城天皇(へいぜいてんのう)は、桓武天皇の後を継いだ第51代天皇です。
妃となった藤原帯子ではなく、その母親である藤原薬子を寵愛し醜聞を流したことでも有名です。
しかも、藤原薬子への執着の結果、これに唆されて平安京から平城京への遷都を試みるなどして朝廷を二分させる大事件を引き起こしています(薬子の変)。
最終的には、嵯峨天皇によって鎮圧されたために事なきを得たのですが、平安時代に南北朝の動乱が起きていてもおかしくなかった危険な事件でした。
本稿では、藤原薬子に溺れて朝廷を危機に陥れた平城天皇の生涯について簡単に見ていきたいと思います。 “【第51代・平城天皇】妃の母に溺れて薬子の変に連座した太上天皇” の続きを読む