【中先代の乱】足利尊氏が建武政権から離反するきっかけとなった戦い

中先代の乱(なかせんだいのらん)は、鎌倉幕府滅亡に際して死亡した第14代執権・北条高時の遺児である北条時行が、御内人の諏訪頼重らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱です。

先代(北条氏)と後代(足利氏)との間にあって、一時的に鎌倉を支配したことから中先代の乱と呼ばれています。

中先代の乱は、建武の新政の崩壊、南北朝時代の始まり、足利尊氏による室町幕府成立などのきっかけとなった極めて歴史的意義の大きな戦いです。 “【中先代の乱】足利尊氏が建武政権から離反するきっかけとなった戦い” の続きを読む

【多々良浜の戦いから湊川の戦いまで】建武政権が足利尊氏に敗れた終盤戦

鎌倉幕府討伐後、その功労者である後醍醐天皇と足利尊氏確執は、中先代の乱の後に始まります。

両者の争いは、中先代の乱の後、矢作川の戦い、手越河原の戦い、箱根・竹ノ下の戦い、第一次京都合戦、打出・豊島河原の戦い、多々良浜の戦い、湊川の戦いを経て建武政権が倒れて終了します。

これらの一連の戦いのうち、前回建武政権が足利尊氏を追い払った前半戦を説明しましたので、今回は、足利尊氏が勢力を盛り返した多々良浜の戦いから建武政権終焉と室町幕府設立のきっかけとなった湊川の戦いまでについて見ていきましょう。 “【多々良浜の戦いから湊川の戦いまで】建武政権が足利尊氏に敗れた終盤戦” の続きを読む

【足利尊氏離反から豊島河原合戦まで】建武政権が足利尊氏に勝っていた序盤戦

鎌倉幕府討伐後、その功労者である後醍醐天皇と足利尊氏確執は、中先代の乱の後に始まります。

両者の争いは、中先代の乱の後、矢作川の戦い、手越河原の戦い、箱根・竹ノ下の戦い、第一次京都合戦、打出・豊島河原の戦い、多々良浜の戦い、湊川の戦いを経て建武政権が倒れて終了します。

本稿では、これらの一連の戦いのうち、建武政権方が有利に展開していた中先代の乱から豊島河原の戦いまでについて見ていきましょう。 “【足利尊氏離反から豊島河原合戦まで】建武政権が足利尊氏に勝っていた序盤戦” の続きを読む