【奥州の南北朝の戦い・初期編】鎮守府将軍北畠顕家vs奥州総大将斯波家長

室町時代の初期頃に60年もの長きに及ぶ内乱期となったことで有名な南北朝時代ですが、その争いは中央(京や吉野付近)だけで起こっていたわけではありません。

中央で起こった朝廷の分裂は全国に伝播し、全国各地の諸勢力が南朝側と北朝側とに分かれて紛争が頻発するようになりました。

この南北朝の争いは、東北地方でも起きており、初期の段階では鎮守府将軍北畠顕家vs奥州総大将斯波家長という構図で繰り広げられていきます。

本稿では、東北地方で起きた南北朝の初期の争いについて見て行きたいと思います。 “【奥州の南北朝の戦い・初期編】鎮守府将軍北畠顕家vs奥州総大将斯波家長” の続きを読む

【建武の新政】3年で瓦解した後醍醐天皇の建武政権

鎌倉幕府を滅亡させた後醍醐天皇は、自身を神に擬えて天皇親政の「建武の新政」(建武の中興ともいいます。)をはじめます。

生粋のお坊ちゃんで人の話を聞かない後醍醐天皇は、市井で生きる人の生活など考慮することなく自身の理想を追い求めた政治を追及します。

ところが、この後醍醐天皇の政治は公家・武士・庶民の全てから反目され、わずか3年で建武政権は崩壊し、足利尊氏が開く室町幕府の時代に入っていきます。

そんな、鎌倉幕府と室町幕府の過渡期に生まれた天皇親政政治、建武の親政の概略について、以下簡単に説明します。 “【建武の新政】3年で瓦解した後醍醐天皇の建武政権” の続きを読む