【筒井順慶】洞ヶ峠を決め込むの語源となった大和国の戦国大名

筒井順慶をご存知ですか。

松永久秀と大和国の支配権を争い、最終的には大和国一国を勝ち取った武将なのですが、松永久秀と比べると知名度はイマイチです。

また、業績よりも「洞ヶ峠を決め込む」との語源となったパッとしないエピソードの方が有名かもしれません。

本稿では、隠れた偉人と呼べるかもしれない筒井順慶の生涯について簡単に説明していきたいと思います。 “【筒井順慶】洞ヶ峠を決め込むの語源となった大和国の戦国大名” の続きを読む

【高坂昌信(春日虎綱)】海津城を上杉謙信から守り抜いた智将

武田信玄・武田勝頼に仕えた武田四天王の1人で、武田二十四将でもある高坂昌信(春日虎綱)。

武名高い武将が煌めく武田家中で、イマイチ戦功が見えにくい武将でもあります。

なぜ、高坂昌信が武田四天王で武田二十四将なのでしょうか。

実は、突出した守りの武将なのです。引き際も完璧で「逃げ弾正」とも呼ばれます。

以下、そんな高坂昌信(春日虎綱)の生涯について見ていきましょう。 “【高坂昌信(春日虎綱)】海津城を上杉謙信から守り抜いた智将” の続きを読む

【真田幸隆】攻め弾正と呼ばれた真田三代の祖

真田三代の祖である真田幸隆 。

息子・真田昌幸や孫・真田信繁と比べると知名度はやや落ちますが、活躍は全く劣りません。

外様(信濃衆)でありながら甲斐国譜代家臣同等の待遇を与えられた名将で、息子三人と共に武田二十四将にも数えられています。 “【真田幸隆】攻め弾正と呼ばれた真田三代の祖” の続きを読む

【織田信忠】最後の判断を誤って織田家を没落させた織田信長の後継者

日本を統一するはずだった織田家が没落してしまった最大の理由をご存知ですか。

その理由は、本能寺の変で織田信長が討たれてしまったからではありません。本能寺の変の織田信長に続いて織田信忠までもが討たれてしまったからです。

偉大な父の陰に隠れて歴史の陰に埋もれていますが、その優秀さから、織田信長が死んでも、織田信忠が生きていればおそらく織田家の日本統一は果たされていたと考えられています。

本能寺の変が起きた際、織田信忠には、逃げる、明智光秀に野戦を挑むなど様々な選択肢があったのですが、このときにとった織田信忠の判断が織田家から天下統一を喪失させてしまいました。

本稿では、ある意味で歴史を変えた男、織田信忠の人生を振り返ってみましょう。 “【織田信忠】最後の判断を誤って織田家を没落させた織田信長の後継者” の続きを読む

【飯富虎昌】甲山の猛虎と恐れられた初代赤備えの猛将

武田信虎・武田信玄親子の二代に亘って仕えた初代赤備えの猛将をご存知ですか。

敵から「甲山の猛虎」と恐れられた飯富虎昌です。

武田二十四将の1人として武田信玄の嫡男武田義信の傅役を任され、上田原の戦いで板垣信方・甘利虎泰が失われた後の武田家筆頭宿老として活躍した人物です。

もっとも、武田義信の傅役という立ち位置から、武田家の内紛に巻き込まれて悲しい最期を迎えます。

そんな悲劇の猛将、飯富虎昌の生涯について見ていきましょう。 “【飯富虎昌】甲山の猛虎と恐れられた初代赤備えの猛将” の続きを読む

【酒井忠次】背に目を持つ如しと評された徳川四天王筆頭

徳川家康の天下統一に最も貢献したのが徳川四天王ですが、その筆頭は何と言っても酒井忠次です。

何度も徳川家康の窮地を救った冷静沈着なブレーンです。

松平信康切腹事件の際には、究極の選択を迫られるなど苦しい立場も経験した苦労人でもあります。

本稿では、そんな徳川四天王筆頭・酒井忠次の人生について見ていきましょう。 “【酒井忠次】背に目を持つ如しと評された徳川四天王筆頭” の続きを読む

【板垣信方】武田信玄の父とも言える初期武田四天王筆頭の猛将

戦国最強の誉れ高い甲斐武田家の筆頭家老として、武田信虎・武田信玄の2代に仕えた板垣信方(甲陽軍鑑では、板垣信形と記載されています。)。

優れた武将を多く抱える武田家の中でも特に優れた武将とされる武田二十四将に選ばれ、また初期の武田四天王の1人でもありました。

武田信玄の青年期を武田家最高職として支えた名将で、戦場では無類の強さを発揮しましたが、増長して悲しい最期を迎えた武将でもあります。 “【板垣信方】武田信玄の父とも言える初期武田四天王筆頭の猛将” の続きを読む

【おつやの方(岩村御前)】織田と武田の間で翻弄された岩村城の女城主

戦国時代の女城主と言えば誰を思い浮かべますか。

2017年度の大河ドラマ「おんな城主直虎」が放送されていたことから女城主=井伊直虎を思い浮かべる方が多いのではないかと思います。

もっとも、戦国女城主は他にもいます。

本稿で紹介するのはそんな戦国女城主の中の1人で、織田家と武田家の間で翻弄され無残な最期を迎えることとなった「おつやの方」(艶、岩村殿、修理夫人、お直の方、岩村御前ともいわれます)について見ていきましょう。 “【おつやの方(岩村御前)】織田と武田の間で翻弄された岩村城の女城主” の続きを読む

【津田信澄】謀反人の子ながら織田家一門衆ナンバー5となった織田信長の甥

津田信澄(つだのぶずみ)は、織田信長の弟であり二度謀反を起こした織田信行(織田信勝)の嫡男です。

裏切者の子であったにもかかわらず、織田信長に重用され、織田信長家臣団の中で相当の位置にいた武将です。

高い能力から琵琶湖水運ネットワークの一翼を担う重要拠点であった大溝城を任されるなどして活躍したのですが、本能寺の変が起こった際に、妻が明智光秀の娘であったことから疑われ粛清されるという悲しい最期を迎えています。

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【織田信行(織田信勝)】織田信長に2度謀反を起こし敗れた同母弟

織田信長の初期のライバルであった織田信行。

品行方正で優しい性格の同母弟は、1度目は従来の家臣団に担がれたことにより、また2度目は新たな家臣団に唆されたことにより、2度に亘って織田信長に謀反を試みて失敗し粛清されています。

本稿では、そんな織田信行の失敗人生について見ていきましょう。 “【織田信行(織田信勝)】織田信長に2度謀反を起こし敗れた同母弟” の続きを読む