【田中吉政】近江国八幡・三河国岡崎・筑後国柳川を造った武将

田中吉政(たなかよしまさ)は、農民から出生し、宮部継潤・豊臣秀吉・豊臣秀次・徳川家康らに仕え、関ヶ原の戦いの際には石田三成を捕縛する大功を挙げて筑後国32万石の国持大名にまで上り詰めた人物です。

本稿では、そんな田中吉政について、転封の過程で行った近江国八幡(現滋賀県近江八幡市)、三河国岡崎(現愛知県岡崎市)、筑後国柳川(現福岡県柳川市)の現在につながる都市設計を紹介しながら見ていきたいと思います。 “【田中吉政】近江国八幡・三河国岡崎・筑後国柳川を造った武将” の続きを読む

【一柳直末】山中城の戦いで討死した秀吉子飼いの武将

一柳直末(ひとつやなぎなおすえ)の名を聞いたことがありますか。

一柳直末は、木下姓時代から秀吉に仕え、将来の天下人・豊臣秀次を支える立場になるほど豊臣秀吉の信頼を勝ち得た人物です。

黒田官兵衛の義兄弟でもあります。

小田原征伐の一環として行われた山中城の戦いで戦死したためにその後に名を残せなかったためマイナー扱いされているのが残念です。

本稿では、そんな埋もれたマイナー武将、一柳直末について見ていきたいと思います。 “【一柳直末】山中城の戦いで討死した秀吉子飼いの武将” の続きを読む

【長尾為景】主を2人殺した天下に例なき奸雄である上杉謙信の実父

長尾為景(ながおためかげ)は、越後長尾家第7代当主として、1506年から1536年まで越後の国を治めた戦国大名です。

元々は、越後守護代・越中国新河郡分郡守護代から始まり、越後守護・上杉房能と、関東管領・上杉顕定という2人の主を殺害してのし上がるという類を見ない下克上を行った人物です。

戦国時代の下克上の先駆者です。

上杉謙信の実父でもあります。 “【長尾為景】主を2人殺した天下に例なき奸雄である上杉謙信の実父” の続きを読む

【北条氏邦】小田原征伐のきっかけを作った猛将

北条氏邦・藤田氏邦(ほうじょううじくに・ふじたうじくに)は、北条氏康の四男として生まれ、上野国方面の軍事を任されるなどして北関東の最前線で活躍し、いくつもの武功を挙げて北条家の領土拡大に大きく貢献した武将です。

他方で、北条家滅亡に繋がる小田原征伐のきっかけを作った人物であり、その意味では評価が分かれるかもしれません。

最終的には、生まれ故郷から遠く離れた加賀国・金沢で最期を迎えるという数奇な人生の終え方をした人物でもあります。 “【北条氏邦】小田原征伐のきっかけを作った猛将” の続きを読む

【山県昌景】武田四天王の1人である赤備え2代目大将

山県昌景(やまがたまさかげ)は、武田信玄に仕えた譜代家老衆の1人で後代に武田四天王の一人に数えられる猛将です。

戦国最強の武田軍の中でさらに最強部隊である赤備えを率い、「源四郎の赴くところ敵なし」とまで言われ敵に恐れられた武将でもあります。

武田信玄に寵愛されて武田軍の領土拡大に大きく貢献するも、武田信玄の死後には跡を継いだ武田勝頼に疎まれ悲しい最期を遂げています。 “【山県昌景】武田四天王の1人である赤備え2代目大将” の続きを読む

【京極高次】お家取り潰し危機から一発逆転し若狭小浜藩主となった蛍大名

京極高次(きょうごくたかつぐ)は、京極家と言うエリートの家に生まれながら、家臣筋に囲われた後、織田信長の下に人質として送られるという辛酸をなめながら育った人物です。

その後,負け組となる明智光秀や柴田勝家に与するという命の危機を乗り越え,妹・竜子や妻・初の後ろ盾もあって出世を重ね(そのため,女の尻によって出世したとして蛍大名と揶揄されます。)、大津城籠城戦の武功から遂には若狭国一国を得る大大名にまで成り上がり、若狭国小浜藩の初代藩主となります。

本稿では、そんな波乱万丈の人生を生きた京極高次の生涯について見ていきたいと思います。 “【京極高次】お家取り潰し危機から一発逆転し若狭小浜藩主となった蛍大名” の続きを読む

【細川藤孝(細川幽斎)】幕臣ながら三英傑に下り細川家を躍進させたチート武将

細川藤孝/細川幽斎(ほそかわふじたか/ほそかわゆうさい)は、足利将軍家に仕える幕臣だったのですが、後に足利義昭を見限って織田信長に下り、大名となった武将です。

途中で、明智光秀と立場が入れ変わる辛い経験もし、家を残す苦しい選択を繰り返して戦国大名として成り上がって豊前国小倉藩の礎となった武将ですが、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け近世歌学を大成させた一流の文化人でもありました。 “【細川藤孝(細川幽斎)】幕臣ながら三英傑に下り細川家を躍進させたチート武将” の続きを読む

【織田信孝】羽柴秀吉に屈して切腹した織田信長の三男

織田信孝(おだのぶたか)は、織田信長の三男として生まれ、庶子でありながら織田信長に愛され重用された武将です。

武将として有能であり人柄もよかったために織田家中の評判も良かったようですが、母の家柄の悪さから織田信長・織田信忠死亡後に織田家を継ぐに至らず、台頭してきた羽柴秀吉に屈して非業の死を遂げた人物でもあります。

無念から自らの贓物をぶちまけて死んだなどという壮絶なエピソードも残っています。

本稿では、そんな無念の武将・織田信孝について見ていきたいと思います。

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織田信孝(おだのぶたか)は、織田信長の三男として生まれ、庶子でありながら織田信長に愛され重用された武将です。

武将として有能であり人柄もよかったために織田家中の評判も良かったようですが、母の家柄の悪さから織田信長・織田信忠死亡後に織田家を継ぐに至らず、台頭してきた羽柴秀吉に屈して非業の死を遂げた人物でもあります。

無念から自らの贓物をぶちまけて死んだなどという壮絶なエピソードも残っています。

本稿では、そんな無念の武将・織田信孝について見ていきたいと思います。

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織田信孝(おだのぶたか)は、織田信長の三男として生まれ、庶子でありながら織田信長に愛され重用された武将です。

武将として有能であり人柄もよかったために織田家中の評判も良かったようですが、母の家柄の悪さから織田信長・織田信忠死亡後に織田家を継ぐに至らず、台頭してきた羽柴秀吉に屈して非業の死を遂げた人物でもあります。

無念から自らの贓物をぶちまけて死んだなどという壮絶なエピソードも残っています。

本稿では、そんな無念の武将・織田信孝について見ていきたいと思います。

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