永禄11年(1568年)9月に、足利義昭と織田信長が上洛を果たし、その後に足利義昭が室町幕府15代将軍に任命されたのは有名な話ですが、その後の京・畿内の統治がどのように行われたのかについては意外と知られていません。
後に織田信長が足利義昭を追放して独占的支配に至ったため、何となく織田信長が足利義昭を傀儡として統治していたようなイメージを持つ方が多いと思うのですが、そうではないのです。
上洛当初の京の統治者は将軍・足利義昭であり、織田信長はその補佐人でしかありません。
しかも、この時点での織田信長の本拠地は美濃国・岐阜であったために織田信長自ら京(畿内一帯を含む)政策の陣頭指揮を執ることはできず、代理人となる奉行人を在京させて足利義昭を補佐していたに過ぎませんでした。
このとき、足利義昭の補佐をするために京に置かれた足利義昭及び織田信長の代理人を京都奉行(足利義昭追放後に置かれた「京都所司代」や江戸時代に置かれた「江戸町奉行」とは別物です。)といいます。
本稿ではこの京都奉行の紹介を兼ねて、足利義昭・織田信長上洛後の京の統治者の推移について見て行きたいと思います。 “【京都奉行】足利義昭・織田信長連合政権の京都統治機関” の続きを読む