源頼朝によってひらかれた初の武家政権である鎌倉幕府でしたが、その支配権を確立した北条得宗家による横暴が目立つようになり、成立後150年ほどたつとその支配は限界を迎えていきます。
そして、後醍醐天皇の挙兵とそれに伴う全国各地の武士の蜂起によって始まった「元弘の乱」により、元弘元年(1333年)5月7日に足利尊氏によって六波羅探題が、同年5月22日に新田義貞によって鎌倉が陥落し、同日鎌倉幕府が滅亡します。
本稿では、この元弘の乱のうち、戦局が大きく動く一大事件となった鎌倉幕府軍主力・足利尊氏離反と、その後の鎌倉幕府の西国統治機関である六波羅探題の陥落について紹介していきたいと思います。 “【足利尊氏旗揚げ】六波羅探題陥落に繋がった鎌倉幕府軍主力の離反” の続きを読む







