大垣城(おおがきじょう)は、美濃国と尾張国との間に位置する現在の岐阜県大垣市郭町にあった戦国平城です。麋城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)とも呼ばれます。
立地の重要性から、美濃国斎藤家と尾張国織田家との間で激しい争奪戦が繰り広げられ、その後の関ヶ原の戦いの際には、合戦前日まで西軍の本拠地とされており、本戦で西軍が敗れた後は激しい攻城戦の舞台となった城でもあります(大垣城の戦い)。
最終的には内堀・中堀・外堀の三重の堀とその中に並郭式に本丸と二ノ丸を並べてその周囲を三ノ丸で囲い、更にその外周に外曲輪を配置した惣堀構造を持った堅城に仕上がっています。
もっとも、廃城後の宅地開発や戦災によって城域の大部分が失われ、現在では門や石垣跡(及び、後に再建された復元建築物)などがわずかに残されているのみとなっています。 “【大垣城(続日本100名城144番)】関ヶ原合戦の西軍本拠となるはずだった平城” の続きを読む