【姫路城・西の丸】国宝姫路城に千姫のための戦わない曲輪がある理由

木造建築の最高傑作として、1993年に日本初のユネスコ世界文化遺産に登録された名城・姫路城。

白鷺城の別名を持つ美しい城ですが,城自体が極めて強い防衛力を持っていることでも有名です。

この姫路城に戦うためのものではない曲輪があることをご存じですか。姫路城・西の丸です。

本稿では,この戦わない西の丸曲輪がなぜ姫路城に造られたのかについて解説します。 “【姫路城・西の丸】国宝姫路城に千姫のための戦わない曲輪がある理由” の続きを読む

【松倉重政・松倉勝家】島原の乱の原因を作った江戸時代最悪の暗君親子

江戸時代には大小200を超える藩がありましたが、その藩主が必ずしも名君であった訳ではありません。

藩主がとんでもない人間だったら、その藩の領民はとてつもない迷惑を被ることになります。

身分社会だった江戸時代にこれから逃れる術はありませんので、藩主が暗君・暴君だったら領民は悲惨です。

そんな江戸時代の藩主の中で、最悪の政治をした暗君親子がいます。

島原藩初代藩主松倉重政と、2代藩主松倉勝家です。

恐らくこの2人が、江戸時代ワースト1とワースト2であったことに間違い無いと思います。

以下、2人の傍若無人ぶりを紹介していきたいと思います。 “【松倉重政・松倉勝家】島原の乱の原因を作った江戸時代最悪の暗君親子” の続きを読む

織田信長による美濃国平定戦(斎藤家討伐戦)

織田信長は、尾張国を統一後、永禄3年(1560年)から美濃侵攻を開始しますが、美濃国を平定するのに足掛け7年間も費やしています。

織田信長のその後の快進撃と比べると、美濃平定には相当手こずったことが見てとれます。

以下、織田信長が苦労した美濃平定戦について、時間の経過を追いながら見ていきましょう。 “織田信長による美濃国平定戦(斎藤家討伐戦)” の続きを読む

【宇喜多直家】血も涙もない殺し屋?実は家臣には優しかった戦国乱世の梟雄の生涯

戦国三大梟雄とも呼ばれ、ひたすら敵を暗殺しまくったことで有名な武将、宇喜多直家。

親族の情もなく、汚いことも平気でやってのけることからさぞとんでもない性格だと思われますが、実は家臣思いで情に厚く、また領国経営でも優れた手腕を発揮した傑物でした。

以下、極端に賛否両論が分かれる戦国武将、宇喜多直家について見ていきたいと思います。 “【宇喜多直家】血も涙もない殺し屋?実は家臣には優しかった戦国乱世の梟雄の生涯” の続きを読む

【三好長慶】織田信長に先立つ日本最初の天下人

日本の権力の中枢に迫るまで上り詰めた割に影が薄い三好長慶。

下克上に遭って失脚しただとか、晩年にボケたなどと散々な言われようをしています。

もっとも、これらの評価は誤りです。

三好長慶は、織田信長に先立って天下人となったすごい人です。

以下、三好長慶の生涯を見ていきたいと思います。 “【三好長慶】織田信長に先立つ日本最初の天下人” の続きを読む

日本のお城入門(城観光の参考に城の仕組みを簡単に説明します)

城とは、 敵からの攻撃を防ぐための軍事施設です。単に天守のみを城と言うのではなく,その防御施設全体が城です。

古くは、平安時代から既に存在していたようですが、当初は、一定の範囲を柵で囲んだだけの造りでした。

それが、時代を経るにつれて次第に進化していきます。堀が掘られ、土が盛られ、構造物が造られるなど複雑化していきます。

完成期とも言える戦国末期になると、それこそ様々な仕掛けが設置された究極の機能美を持つに至ります。

これが、後世の我々を強く引き付ける所以です。

城を知る上では、まず、その城が造られた時代背景を前提に、地形を確認して全体像を掴み、次に曲輪の配置の意味を考え、それぞれの防御施設を確認してから、天守に思いを馳せるというのがわかりやすいと思いますので、本稿ではこの順にかいつまんで紹介したいと思います。 “日本のお城入門(城観光の参考に城の仕組みを簡単に説明します)” の続きを読む

【関東の戦国史】公方、関東管領、北条を出来るだけ易しく説明します

学校で習う戦国時代の歴史は、中部地方より西の話がほとんどです。現在の政治・経済の中心地であるにも関わらず、関東地方の歴史が詳しく勉強する機会はなかったのではないでしょうか。

しかも、関東の戦国史には、何とか公方・足利何とか・上杉何とかやら、似たような名前ばっかり出てくるため、訳が分かりません。

このややこしい関東の戦国史は、以下の3期に分けて考えると理解が進みます。というか、結構面白いです。

第1期が幕府と鎌倉府の対立(1349年~1467年ころ)、第2期が関東管領家の内乱(1467年ころ~1493年ころ)、第3期が北条家の台頭(1493年ころ~1590年)です。

では,一緒に見ていきましょう。
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【第1次上田合戦】徳川の大軍を追い返した真田昌幸の軍略

長野県上田市の観光名所ともなっている上田城。

歴史ファンはもちろんですが、絶対に落ちない城とし受験生に人気です。絶対に落ちないというご利益にあやかろうと、城内にある真田神社でお守りをいただく受験生も多いとのこと。

では、なぜ上田城は絶対に落ちないと言われているのか。

その理由は、徳川軍の侵攻を跳ね返した2度の防衛戦にあります。

2度目の合戦(第2次上田合戦)は別稿に委ねることとし、本稿では1度目の合戦、すなわち第1次上田合戦について、それに至る経緯から順に説明します。 “【第1次上田合戦】徳川の大軍を追い返した真田昌幸の軍略” の続きを読む

【小田原合戦】豊臣秀吉天下統一の総決算と後北条氏の最後

豊臣秀吉の天下統一の総決算である小田原合戦。小田原征伐とも言われます。戦国時代の大大名北条氏が滅亡する原因となった合戦です。

同じ規模の大名であった徳川家康が一旦豊臣秀吉に臣従した後に天下をとったのと対比し、あくまで抗戦をして滅んだ北条家。

結果を知る後世の我々からすると、北条氏側の判断の誤りと考えてしまいがちですが、当時の事情を振り返ってみると、簡単にそうとも言い切れません。

以下、北条氏が、なぜ天下人豊臣秀吉と戦う道を選んだのかについて、北条氏(いわゆる後北条氏)の成り立ちから紐解いて行きます。 “【小田原合戦】豊臣秀吉天下統一の総決算と後北条氏の最後” の続きを読む

【樋口一葉】生涯貧乏だった5000円札の顔

2004年の紙幣刷新時に女性として初めて起用され、その後30年もの間、5000円札の顔となった樋口一葉。

その人生を振り返ってみると、なぜ樋口一葉5000円札の肖像として採用されたのかはなはだ疑問です。

以下、樋口一葉の人生について、お金と作品に注目しながら見ていきたいと思います。 “【樋口一葉】生涯貧乏だった5000円札の顔” の続きを読む