名胡桃城(なぐるみじょう)は、戦国時代後期に、武田勝頼が北条氏から沼田城を奪取することを目指し、真田昌幸に命じて沼田城攻略のための前線基地とするために築かせた城です。
北関東の要衝であった沼田城から僅か数kmという近接地に築かれているため、激しい争奪戦の舞台となった城で、後に豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすこととなった小田原征伐のきっかけとなった城としても有名です。 “【名胡桃城(続日本100名城115番)】小田原征伐の原因となった真田の城” の続きを読む
日本の歴史をできる限りをわかりやすく
名胡桃城(なぐるみじょう)は、戦国時代後期に、武田勝頼が北条氏から沼田城を奪取することを目指し、真田昌幸に命じて沼田城攻略のための前線基地とするために築かせた城です。
北関東の要衝であった沼田城から僅か数kmという近接地に築かれているため、激しい争奪戦の舞台となった城で、後に豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすこととなった小田原征伐のきっかけとなった城としても有名です。 “【名胡桃城(続日本100名城115番)】小田原征伐の原因となった真田の城” の続きを読む
三木城(みきじょう)は、播磨国美嚢郡三木(現・兵庫県三木市上の丸町)にあった東播磨を治める土の城です。釜山城や別所城とも呼ばれます。
小寺氏の御着城・三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称された巨城で、凄惨な三木の干殺しの舞台となったことでも有名です。 “【三木城】干殺しの舞台となった別所長治の居城” の続きを読む
一般的な日本の「城」としては、水堀や石垣に囲まれた中に天守がそびえる構造物をイメージされるされる方が多いと思います。
このような城は、いわゆる近世城郭で、基本的には織田信長が築いた安土城以降に見られる限定的なものです。
現在日本全国に残る3万~5万とも言われる城跡のほどんどは、山地に築かれた土で造られた山城です。
誤解を恐れずに言うと、本来の日本の「城」とは、すなわち有史以前(特に鎌倉時代以降)から戦国時代に至るまでに築かれた多く(ほとんど)の城は、山の尾根上や河川の段丘などに土を切り開いて作られた山城なのです。
そのため、「城」という漢字も「土で成る」と書きます。
本稿では、この山城の建築手順について、地選→地取→縄張り→普請→作事と順を追って見ていきたいと思います。 “【山城築城の流れ】完成に至る全工程をわかりやすく” の続きを読む
東京都内にある山城と聞かれて真っ先に名が挙がると思われる八王子城。
広大な敷地に建つ場内に様々な技巧を凝らした極めて興味深い城です。
後に、豊臣秀吉の小田原攻めの際に凄惨な殲滅戦が行われたため、その恨みを持つ人が多いためとして現在は心霊スポットともなっているようです。
一度是非訪れていただきたい城ですので、本稿では、そんな興味深い八王子城について、築城の経緯・縄張り・廃城に至る経緯について順に説明していきたいと思います。
“【八王子城(日本100名城22番)】小仏峠を越えてくる武田軍から武蔵国を守る北条氏照の山城” の続きを読む
山崎城(やまざきじょう)は、京都府乙訓郡大山崎町字大山崎にある天王山に築かれた山城です。
天王山山麓に築かれ、宝積寺を取り込んだ城郭となっていることから、天王山城、天王山宝寺城、宝寺城、山崎宝寺城、宝積寺城、鳥取尾山城との別名も持っています。
古くは室町時代初期ころから使用されていたようですが、羽柴秀吉が山崎の戦いの舞台となった後に柴田勝家と戦うために使用し、大坂城に入るまで居城とした城でもあります。
“【山崎城(山城国)】羽柴秀吉が柴田勝家と戦うために本拠とした山城” の続きを読む
八上城(やかみじょう)は、兵庫県丹波篠山市にある波多野氏が本拠とした、中世の山城です。
丹波三大山城(あとの2つは八木城と黒井城です。)の1つであり、別名は八上高城とも言われます。
織田信長麾下の丹波方面軍司令官であった明智光秀の攻撃により落城し、丹波国で権勢を誇った波多野氏が滅亡するに至った城でもあります。
楠葉台場(橋本台場)は、幕末期に、日本近海に出没し始めた異国船と過激化していく尊王攘夷派の活動から京を防衛するために築かれた江戸幕府の要塞です。
この頃には、欧米列強の外国船への備えのために日本全国に多くの台場が設置されたのですが、その多くは海岸に造られているため、内陸部の河川に造られた河川台場は珍しく、その中でも比較的良好に遺構を残す楠葉台場は高い歴史的価値があります。 “【楠葉台場】異国船と維新志士を防ぐはずだった淀川南の河川台場” の続きを読む
野崎城(のざきじょう)は、大阪府大東市にあった日本の城です。
超マイナーで歴史マニアでもほとんど名があがることのない城です。
もっとも、実は小楠公・楠木正行が散った四条畷の戦いの舞台となり、最初の天下人三好長慶の本拠地の出城となった城でもありますので、もう少し取り上げられてもいい城だと思います。
本稿では、そんな歴史に埋もれた野崎城について簡単に説明していきます。 “【野崎城】東高野街道の支配のために築かれた河内国の山城” の続きを読む
飯盛山城(いいもりやまじょう)は、河内国と大和国の国境に位置する飯盛山(現・大阪府大東市及び四條畷市)に築かれた山城です。
正式な名称は飯盛城なのですが、飯盛城という名の城は他県にも存在してややこしいので、本稿では有名な別称である飯盛山城で統一します。
名前の由来は、城の北側が椀に盛った飯のようななだらかな山容であることにちなみます。もっとも、実際には深い谷や峻険な断崖で守られた天然の要害となっており、名前のような穏やかさはありません。
織田信長に先立つ天下人・三好長慶の最期を迎えた城でもあります。 “【飯盛山城・飯盛城(続日本100名城160番)】天下人・三好長慶の最期の城” の続きを読む
交野城(かたのじょう)をご存知ですか。別名私部城(きさべじょう)とも言います。
近くに住んでいなければそもそも読めない難読地名である上、歴史好きでもほとんど知られていない超マニアックな城です。
歴史に埋もれてしまっていますが、戦国時代には東高野街道・山根街道に接する河内国の玄関口を牛耳った平城です。
本稿では、そんな重要ながらマイナーな城、交野城について紹介します。
“【交野城(私部城)】織田信長と松永久秀の戦いに翻弄された河内国の土の城” の続きを読む