【淀城】鳥羽伏見の戦いで淀藩裏切りの舞台となった城

淀城(よどじょう)は、江戸時代初期、木幡伏見城廃城後に手薄となった京の守りとして山城国久世郡淀(現・京都府京都市伏見区淀本町)に築かれた城です。

京街道という陸運のみならず、淀川水運の要衝地であった淀の地に、桂川・宇治川・木津川を天然の堀として守る近代城郭として完成し、戊辰戦争の際に時代を動かす一大事件の舞台となった城として有名です。

残念ながら、現在は本丸石垣と堀の一部が残るのみで、遺構のほとんどが失われていますが、本稿ではありし日の淀城について解説していきたいと思います。 “【淀城】鳥羽伏見の戦いで淀藩裏切りの舞台となった城” の続きを読む

【中津城(続日本100名城191番)】黒田官兵衛が築き細川忠興が完成させた水城

中津城(なかつじょう)・中津川城(なかつがわじょう)は、戦国時代末期に、豊前国に入った黒田官兵衛によって築かれ、後に細川忠興によって完成された水城(海城)です。

山国川から分かれた中津川の河口デルタ部を巧みに利用し、瀬戸内水運を利用できる絶好の立地でありながら、堅固な防御力を誇った一大城郭です。

明治期以降に大部分が破却されてしまっていること、観光用の模擬天守が不自然な場所に建てられていることなど一部残念なところもありますが、日本三大水城として名高い中津城について、その築城に至る歴史から見ていきたいと思います。 “【中津城(続日本100名城191番)】黒田官兵衛が築き細川忠興が完成させた水城” の続きを読む

【真田丸】大坂冬の陣で大坂城南側を守った真田信繁の出城

徳川家康と豊臣秀頼が争い、豊臣家が滅亡するに至った大坂の陣は、冬と夏の二度に亘って戦われています。

このうち、最初の戦いである大坂冬の陣で、最も激しい戦いが行われたのが真田信繁が築き守った出城・真田丸です。

真田の名を全国に知らしめた余りにも有名な戦いであり、2016年の第55作NHK大河ドラマ「真田丸」の題材にもなっています。

本稿では、この真田丸について、建築(築城)に至る経緯から説明していきたいと思います。 “【真田丸】大坂冬の陣で大坂城南側を守った真田信繁の出城” の続きを読む

【現存四御殿】現存十二天守よりも貴重な本丸御殿と二の丸御殿

これまでに日本国内に2万とも3万とも言われる城が築かれました。

そのうち、現在、城址としてその名残が残っているのは僅かであり、さらに一般人が見学して楽しめるのは数百城程度しかありません。

特に、江戸時代以前に建てられ現存している御殿は僅か4つしかありません(現存十二天守よりも数が少なくとても貴重です。)。

そこで、本稿では、この現存する貴重な4つの御殿(本丸御殿2つ、二の丸御殿2つ)を簡単に紹介します。 “【現存四御殿】現存十二天守よりも貴重な本丸御殿と二の丸御殿” の続きを読む

【鳥羽城】九鬼水軍の本拠である志摩国の海城

鳥羽城(とばじょう)は、戦国時代末期に志摩国答志郡鳥羽(現在の三重県鳥羽市鳥羽三丁目)に築かれた九鬼水軍の本拠地となった海城です。

水軍の本拠地だけあって四方を水に囲まれ、大手門も海に向かう水門だったという極めて珍しい構造でした。

その構造か、「鳥羽の浮城」と呼ばれたり、城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたため、「二色城」や「錦城」と呼ばれたりもします。

現在は、宅地造成のために周囲が埋め立てられてしまったため、往時の姿を見ることはできませんが、過去に思いを巡らしながら観光するととても興味深い城です。 “【鳥羽城】九鬼水軍の本拠である志摩国の海城” の続きを読む

【尼崎城】徳川大坂城支城群の西側最終防衛拠点

尼崎城の存在をご存じですか。

現存していないこと、豊臣家が滅亡した後に築かれたために戦場となったことがないことなどから知名度がイマイチの感がありますが、徳川大坂城の支城としてその西側の最後の防衛拠点であり、尼崎藩の石高にそぐわない防御力を誇る城郭として君臨していた巨城です。

近年外観復興天守が再建され、これが阪神尼崎駅から見えるようになりましたので興味を惹かれた方もおられるのではないでしょうか(もっとも、この外観復興天守は、元々の天守跡地ではなく西三の丸跡地に建てられています。)。

尼崎城は、江戸幕府による大坂城の西側の最終防衛拠点という超重要な城であり本来は注目を浴びてしかるべき城であり、この知名度の低さは本意ではありませんので本稿で簡単にその位置づけから説明したいと思います。 “【尼崎城】徳川大坂城支城群の西側最終防衛拠点” の続きを読む

大阪城内の巨石ランキングとその所在場所(観光用)

現在、大阪の観光名所の1つとなっている大阪城には様々な見どころがあります。

そのうちの1つとして、どうやって運んだのかすら想像できない程の巨石が点在していることが挙げられます。

本稿では、大阪城に使われている巨石を表面積別ランキングにし、その所在と共に紹介していきたいと思いますので、大阪城を観光される際の参考にしていただければ幸いです。 “大阪城内の巨石ランキングとその所在場所(観光用)” の続きを読む

【山中城(日本100名城40番)】障子堀と畝堀で有名な北条流築城技術の最高傑作

山中城(やまなかじょう)は、関東一円を支配した北条家3代目の北条氏康が、本拠地・小田原城の西側の守りとするため、小田原城の約18km西側に位置する伊豆国田方郡山中(現在の静岡県三島市山中新田)築いた城です。小田原城の支城として箱根旧街道(東海道)を押さえる西の要の城であり、箱根十城にも数えられています。

完全土造りの城で、障子堀や畝堀、角馬出しなどの北条家の築城技術の全てを注ぎ込み、圧巻の土木工事を経て造られた傑作です。

残念ながら完成をみる前に山中城の戦いが起きたために、最大限の運用をすることなく落城した悲運の城でもあります。

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【名胡桃城(続日本100名城115番)】小田原征伐の原因となった真田の城

名胡桃城(なぐるみじょう)は、戦国時代後期に、武田勝頼が北条氏から沼田城を奪取することを目指し、真田昌幸に命じて沼田城攻略のための前線基地とするために築かせた城です。

北関東の要衝であった沼田城から僅か数kmという近接地に築かれているため、激しい争奪戦の舞台となった城で、後に豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすこととなった小田原征伐のきっかけとなった城としても有名です。 “【名胡桃城(続日本100名城115番)】小田原征伐の原因となった真田の城” の続きを読む

【三木城】干殺しの舞台となった別所長治の居城

三木城(みきじょう)は、播磨国美嚢郡三木(現・兵庫県三木市上の丸町)にあった東播磨を治める土の城です。釜山城や別所城とも呼ばれます。

小寺氏の御着城・三木氏の英賀城と並び播磨三大城と称された巨城で、凄惨な三木の干殺しの舞台となったことでも有名です。 “【三木城】干殺しの舞台となった別所長治の居城” の続きを読む