【大和郡山城(続日本100名城165番)】秀吉の弟・豊臣秀長の居城

豊臣政権の絶対的ナンバー2で、紀伊国・河内国・大和国の3か国を治めた大和大納言豊臣秀長の居城・大和郡山城をご存知ですか。

大和郡山城は、大坂城防衛のための重要地点に建っており、100万石の大大名の居城としてふさわしい名城なのですが、豊臣秀長が早死にしたこともあって歴史に埋もれてしまっています。

本稿では、そんな名城・大和郡山城について簡単に紹介していきます。 “【大和郡山城(続日本100名城165番)】秀吉の弟・豊臣秀長の居城” の続きを読む

【二条城は4つある】三英傑が築いた4つの二条城を順に紹介します

京都を代表する観光地である世界遺産・二条城ですが、現存する二条城の他にも複数の二条城があったことをご存じですか。

それ以前の屋敷の規模にとどまる大きさものを除外し、城と言える規模のものだけを抽出してもこれまでに4つの二条城が存在しています。

①足利義昭の旧二条城、②織田信長の二条御所、③豊臣秀吉の妙顕寺城、④徳川家康の二条城です。

以下、これらの4つの二条城の歴史を簡単に紹介します。 “【二条城は4つある】三英傑が築いた4つの二条城を順に紹介します” の続きを読む

【明石城(日本100名城58番)】西国大名の東上を防ぐため山陽道に配された巨城

明石城については、JR明石駅からそびえたつ石垣や櫓が目の前に飛び込んできますので目にしたことがある方が多いのではないでしょうか。建物自体の多くは現存していませんが、明治以降の旧藩士の働きかけや天皇の御料地候補となったことがあったため、多くの曲輪が残されていることも見どころとなっています。

もっとも、明石城は、天守が存在しなかったこと、近くに有名な姫路城があること、合戦経験がないために脚光を浴びることがなかったことなどの理由により知名度はいまいちです。

明石城は、江戸幕府による山陽道上の城郭整備の一環を担う姫路城に並ぶ超重要拠点であり、本来は注目を浴びてしかるべき城でありこの知名度の低さは本意ではありませんので、本稿で簡単にその位置づけから説明したいと思います。 “【明石城(日本100名城58番)】西国大名の東上を防ぐため山陽道に配された巨城” の続きを読む

【長浜城】豊臣秀吉の最初の居城

長浜城(ながはまじょう)は、浅井攻めで功を挙げた木下秀吉(後の豊臣秀吉)が、織田信長から与えられた地に築いた城です。羽柴秀吉が最初に獲得した城でもあります。

有名な城であるにも関わらず、今となっては、遺構を僅かに残すのみで、往時の姿は想像するしかありません。 “【長浜城】豊臣秀吉の最初の居城” の続きを読む

【彦根城(100名城50番)】佐和山城を廃して築かれた井伊家の居城

彦根城は、江戸時代初期に築かれた井伊家・彦根藩の政庁がおかれた滋賀県彦根市金亀町に現存する城であり、別名を金亀城といいます。

天守が国宝指定された城で、マスコットキャラクターのひこにゃんでも有名です。

また、天守の魅力はもちろんですが、関ヶ原の戦いの直後に築かれた城ですので、城全体として最高度の防御力を有する堅城でもあります。 “【彦根城(100名城50番)】佐和山城を廃して築かれた井伊家の居城” の続きを読む

【大津城】関ヶ原の戦いを東軍勝利に導いた琵琶湖城

 

大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津(現在の滋賀県大津市浜大津、京阪電鉄びわ湖浜大津駅周辺一帯)にあった水城です。

元々坂本にあった要を大津に移して築かれた城で、関ヶ原の戦いの前哨戦である大津城の戦いで東軍勝利に大きな健闘をした城でもあります。

以下、大津城の歴史を簡単に説明します。 “【大津城】関ヶ原の戦いを東軍勝利に導いた琵琶湖城” の続きを読む

【姫路城・西の丸】姫路城にある千姫専用の曲輪

白鷺城の別名を持つ姫路城は、木造建築の最高傑作として平成5年(1993年)に日本初のユネスコ世界文化遺産に登録されるほどの造形の美しい城なのですが、極めて強い防衛力を持っている堅城としても有名です。

もっとも、姫路城の内曲輪には、戦闘用ではない曲輪である西の丸が存在しています。

防衛施設であるはずの城に戦闘用でない曲輪が存在していることは極めて珍しいことなのですが、この曲輪が設置されたのには深い理由があります。

そこで、本稿では、姫路城の非戦闘用曲輪である西の丸について、その設置の経緯から順に説明していきたいと思います。 “【姫路城・西の丸】姫路城にある千姫専用の曲輪” の続きを読む