【高屋城】安閑天皇陵が本丸として利用された管領・河内守護畠山氏の居城

高屋城(たかやじょう)は、室町時代に大勢力を誇った三管領の1つに数えられた名門畠山氏が河内守護として河内国支配の中心城郭とした城です。

安閑天皇陵と言われる高屋築山古墳を主郭として取り込んだ特徴的かつ複雑な城であり、河内国支配の重要拠点であったがゆえに畠山氏・安見氏・三好氏による争奪戦の舞台となって再三城主が入れ替わった城でもあります。

最終的には、天正3年(1575年)に織田信長に攻撃されて落城して廃城となり、その後主郭部を残しその他の城址は宅地開発されそのほとんどが失われています。 “【高屋城】安閑天皇陵が本丸として利用された管領・河内守護畠山氏の居城” の続きを読む

【池田城(摂津国)】有岡城攻めの際の織田軍の陣城

池田城(いけだじょう)は、大阪府池田市にあった日本の城。

建武元年(1334年)前後に現在の池田市にある五月山南麓の丘陵地に、豊島の土着豪族池田教依が築き、代々池田氏が城主を務めた。

現在は「城跡の歴史を感じられる憩いの場」として池田城跡公園が整備されている。 “【池田城(摂津国)】有岡城攻めの際の織田軍の陣城” の続きを読む

【赤穂城(日本100名城60番)】元和偃武後に築かれた赤穂浪士の城

赤穂城(あこうじょう)は、兵庫県赤穂市にある変形輪郭式の海岸平城です。

元和偃武以降に築城された数少ない城であり、当時の最先端軍学に基づきながら強く合戦を意識せず築かれた城であり、江戸時代を通じて赤穂藩(加里屋藩)の藩庁として機能し明治維新を迎えています。 “【赤穂城(日本100名城60番)】元和偃武後に築かれた赤穂浪士の城” の続きを読む

【御着城】播磨三大城の1つである小寺家の居城

御着城(ごちゃくじょう)は、播磨守であった赤松家の一族として力を持っていた小寺家の居城として築かれた城です。

戦国期には、別所家の三木城、三木家の英賀城とあわせ、播磨三大城と称された堅城であり、若き日の黒田官兵衛(当時は小寺孝高と名乗っていました。)が家老として在城していたことでも知られ、織田信長の中国征伐軍として西進してきた羽柴秀吉に抵抗して落城し廃城に至っています。

現在は、ほぼ遺構が残されていませんが、土塁や堀の遺構を偲び、往時に思いをはせながら観光してみると楽しいかもしれませんので、観光の際の参考にしていただければ幸いです。

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【篠山城(日本100名城57番)】大坂城の北西を封じるための城

篠山城(ささやまじょう)は、徳川家康の天下普請により、篠山盆地の中央部にある笹山とよばれる小丘陵(現在の兵庫県丹波篠山市北新町)に築かれた平山城です。

関ヶ原の戦いの後も強い影響力を残す豊臣秀頼と大坂城を牽制するため、山陰道上の要衝地とするため小藩の城としてはあり得ない規模と防御力を持つよう築かれました。

天下泰平の世となった後は篠山藩の藩庁となり明治を迎えています。 “【篠山城(日本100名城57番)】大坂城の北西を封じるための城” の続きを読む

【大溝城と大溝陣屋】近江国高島に築かれた戦国水城と江戸陣屋

大溝城(おおみぞじょう)は、近江国高島郡大溝(現在の滋賀県高島市)にあった戦国時代の平城・水城であり、同じく琵琶湖湖畔に築城された安土城・坂本城・長浜城と共に、織田家の琵琶湖水運掌握の拠点となった城です。高島城・鴻溝城(こうこうじょう)・鴻湖城(こうこじょう)などとも称されました。

その立地の重要性から織田信長の甥・津田信澄(織田信長の弟である織田信行の子)が入ったのですが、本能寺の変後に謀反を疑われて誅殺され城主を失い、その後、次々と城主が代わった後、江戸時代を迎える前に破却されるという短命に終わった悲運の城でもあります。 “【大溝城と大溝陣屋】近江国高島に築かれた戦国水城と江戸陣屋” の続きを読む

【淀城】鳥羽伏見の戦いで淀藩裏切りの舞台となった城

淀城(よどじょう)は、江戸時代初期、木幡伏見城廃城後に手薄となった京の守りとして山城国久世郡淀(現・京都府京都市伏見区淀本町)に築かれた城です。

京街道という陸運のみならず、淀川水運の要衝地であった淀の地に、桂川・宇治川・木津川を天然の堀として守る近代城郭として完成し、戊辰戦争の際に時代を動かす一大事件の舞台となった城として有名です。

残念ながら、現在は本丸石垣と堀の一部が残るのみで、遺構のほとんどが失われていますが、本稿ではありし日の淀城について解説していきたいと思います。 “【淀城】鳥羽伏見の戦いで淀藩裏切りの舞台となった城” の続きを読む

【真田丸】大坂冬の陣で大坂城南側を守った真田信繁の出城

徳川家康と豊臣秀頼が争い、豊臣家が滅亡するに至った大坂の陣は、冬と夏の二度に亘って戦われています。

このうち、最初の戦いである大坂冬の陣で、最も激しい戦いが行われたのが真田信繁が築き守った出城・真田丸です。

真田の名を全国に知らしめた余りにも有名な戦いであり、2016年の第55作NHK大河ドラマ「真田丸」の題材にもなっています。

本稿では、この真田丸について、建築(築城)に至る経緯から説明していきたいと思います。 “【真田丸】大坂冬の陣で大坂城南側を守った真田信繁の出城” の続きを読む

【鳥羽城】九鬼水軍の本拠である志摩国の海城

鳥羽城(とばじょう)は、戦国時代末期に志摩国答志郡鳥羽(現在の三重県鳥羽市鳥羽三丁目)に築かれた九鬼水軍の本拠地となった海城です。

水軍の本拠地だけあって四方を水に囲まれ、大手門も海に向かう水門だったという極めて珍しい構造でした。

その構造か、「鳥羽の浮城」と呼ばれたり、城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたため、「二色城」や「錦城」と呼ばれたりもします。

現在は、宅地造成のために周囲が埋め立てられてしまったため、往時の姿を見ることはできませんが、過去に思いを巡らしながら観光するととても興味深い城です。 “【鳥羽城】九鬼水軍の本拠である志摩国の海城” の続きを読む

【尼崎城】徳川大坂城支城群の西側最終防衛拠点

尼崎城の存在をご存じですか。

現存していないこと、豊臣家が滅亡した後に築かれたために戦場となったことがないことなどから知名度がイマイチの感がありますが、徳川大坂城の支城としてその西側の最後の防衛拠点であり、尼崎藩の石高にそぐわない防御力を誇る城郭として君臨していた巨城です。

近年外観復興天守が再建され、これが阪神尼崎駅から見えるようになりましたので興味を惹かれた方もおられるのではないでしょうか(もっとも、この外観復興天守は、元々の天守跡地ではなく西三の丸跡地に建てられています。)。

尼崎城は、江戸幕府による大坂城の西側の最終防衛拠点という超重要な城であり本来は注目を浴びてしかるべき城であり、この知名度の低さは本意ではありませんので本稿で簡単にその位置づけから説明したいと思います。 “【尼崎城】徳川大坂城支城群の西側最終防衛拠点” の続きを読む