【交野城(私部城)】織田信長と松永久秀の戦いに翻弄された河内国の土の城

交野城(かたのじょう)をご存知ですか。別名私部城(きさべじょう)とも言います。

近くに住んでいなければそもそも読めない難読地名である上、歴史好きでもほとんど知られていない超マニアックな城です。

歴史に埋もれてしまっていますが、戦国時代には東高野街道・山根街道に接する河内国の玄関口を牛耳った平城です。

本稿では、そんな重要ながらマイナーな城、交野城について紹介します。

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【芥川山城(続日本100名城159番)】最初の天下人三好長慶の居城

芥川山城は、大阪府高槻市内の三島平野の最奥部にある三好山の山頂部東西・南北約450mに広がる中世の山城です。

畿内をほぼ制圧した最初の天下人・三好長慶が、京にほど近く淀川水系を押さえることができる交通の要衝として選んだ場所にあります。

山中に建てられていたこともあって宅地開発による破壊から免れていることから遺構の保存状態も比較的良好で、すぐ西側には摂津峡がありファミリーで遊ぶついでにアクセスするにもうってつけです。

なお、当時の呼称は「芥川城」なのですが、近くに同じ名である芥川城が存在することから混同を避けるために芥川山城と呼ばれることが一般的であるため、本稿においても芥川山城と標記します。 “【芥川山城(続日本100名城159番)】最初の天下人三好長慶の居城” の続きを読む

【有岡城(伊丹城)】摂津国を支配した荒木村重の居城

織田信長に反旗を翻した荒木村重が10ヶ月間もの長きに亘って籠った有岡城。

摂津国川辺郡伊丹段丘有岡(現・兵庫県伊丹市)に存在した巨城で、摂津国を統治した荒木村重の居城であり、周囲に多くの支城をはべらした大城郭でありながら、歴史に埋もれてしまっている城と言えます。

本稿では、そんな有岡城について簡単にみていきたいと思います(なお、有岡城は在岡城とも言い、改名前は伊丹城とも言っていました。)。 “【有岡城(伊丹城)】摂津国を支配した荒木村重の居城” の続きを読む

【多聞城(多聞山城)】大和国支配のため宗教勢力と戦う松永久秀の居城

多聞城は、三好政権下において松永久秀が難治の国と言われた大和国に侵攻するための橋頭保とするために築かれ、大和国平定後には巨大宗教勢力であった東大寺と興福寺を押さえつけ睨みを利かせるために用いられた城です。

戦国期の城の代表格と言える安土城の15年も前に築かれた城であったにもかかわらず、瓦葺きの屋根・漆喰塗りの白壁・四階建の高矢倉など、後世の築城に大きな影響を与えた画期的な城です。後の城で多用された多聞櫓の名称の由来となった櫓の発祥地となった城でもあります。

本稿では、そんな歴史的に重要な意味を持つ多聞城について紹介していきます。 “【多聞城(多聞山城)】大和国支配のため宗教勢力と戦う松永久秀の居城” の続きを読む

【筒井城】筒井氏8代の栄枯盛衰を見届けた大和国の古城

筒井城は、大和国・興福寺一乗院に属する有力宗徒で宗徒の取締役として筒井城を拠点に武士化し、筒井順慶の代に戦国大名となった筒井氏の居城です。

何度も争奪戦の舞台となり、後に筒井順慶大和郡山城に移るまで筒井氏の栄枯盛衰を見届けた城でもあります。

以下、筒井氏と共に波乱万丈の戦国乱世を生き抜いた筒井城の歴史について見ていきます。
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【安土城(日本100名城51番)】織田信長の最後の城

全国統一を目前にして夢破れた織田信長の最後に拠点が安土城です。

山城であるにもかかわらず石垣を巡らしたり、最初に石垣の上に天守を乗せたりと革新的な技術も数々見受けられます。

また、整備・発掘調査により歴史の解明も進み、観光のために訪れるにも最適な城かもしれません。

本稿では、そんな安土城について、できるだけ簡単にその歴史・縄張り等について説明したいと思います。 “【安土城(日本100名城51番)】織田信長の最後の城” の続きを読む

【和歌山城(日本100名城62番)】徳川御三家・紀州徳川家の居城

言わずと知れた徳川御三家の1つ紀州徳川藩の居城・和歌山城。

余り知られていませんが、御三家でありながら江戸幕府に対する藩主の謀反を疑われて惣構え構造の完成を見なかった城でもあります。

とは言え、その縄張りの見事さ、石垣の妙、重要文化財として残る岡口門、庭園や復元された御橋廊下の美しさなど一見の価値があることに疑問の余地はありません。

そこで、本稿は、和歌山城観光をより楽しむための前提となる和歌山城の歴史知識を簡単に説明します。 “【和歌山城(日本100名城62番)】徳川御三家・紀州徳川家の居城” の続きを読む

【勝竜寺城】細川ガラシャ輿入れと明智光秀最後の城

勝竜寺城は、細川忠興とその妻ガラシャが新婚時代を過ごした城であり、山崎の戦いで敗れた明智光秀が最後の夜を過ごした城でもあります。

京にもほど近く、度々歴史上のターニングポイントに現れる城であるにもかかわらず、その遺構のほとんどが消失していることから、マイナー扱いされている勝竜寺城。

本稿では、そんな勝竜寺城について簡単に解説をしていきます。 “【勝竜寺城】細川ガラシャ輿入れと明智光秀最後の城” の続きを読む

【高槻城】キリシタン大名・高山右近の居城

高槻城は、現在の大阪府高槻市のほぼ中央に位置する芥川の扇状地に築かれた平城です。

京都と大阪の中間にあり、南の淀川と北の西国街道とに挟まれた水陸の要衝でもあるというその立地の重要性から、西国大名に対する抑えとして天下普請によって本格的な大城郭として整備されました。

もっとも、明治期に鉄道敷設のためにそのほとんどが破却され現存していないため、歴史に埋もれてしまっています。

本稿では、そんな高槻城の歴史を振り返ります。 “【高槻城】キリシタン大名・高山右近の居城” の続きを読む

【岸和田城(続日本100名城161番)】紀州徳川藩の裏切りに備えた城

岸和田城は、現在の大阪府岸和田市岸城町にあった惣構え構造を有する巨大な平城で、江戸時代には岸和田藩の藩庁も置かれていました。

岸和田城は、別名として猪伏山榺城、蟄亀利城、千亀利城と呼ばれます。榺(ちぎり)とは、機のタテ糸を巻く器具のことで、本丸と二の丸を連ねた形がこの榺に似ているところからそう呼ばれています。

残念ながら、明治維新後の廃城令により、石垣と堀の一部を残して取り壊されていますので、現在残る遺構はこれらのみです(天守を含め現存するその他の建築物は再建されたものです。)。 “【岸和田城(続日本100名城161番)】紀州徳川藩の裏切りに備えた城” の続きを読む