桑山重晴(くわやましげはる)の名を聞いたことがありますか。
正直マイナーすぎる武将ですが、実は数々の武功を挙げ、賤ヶ岳の戦いでは佐久間盛政の猛攻を耐えて豊臣方の勝利に貢献した武将でもあります。
以下、本稿では、そんな桑山重晴の生涯について見ていきましょう。 “【桑山重晴】賤ヶ岳の戦いで鬼玄蕃の猛攻に耐えた武功で和歌山城代となった武将” の続きを読む
日本の歴史をできる限りをわかりやすく
桑山重晴(くわやましげはる)の名を聞いたことがありますか。
正直マイナーすぎる武将ですが、実は数々の武功を挙げ、賤ヶ岳の戦いでは佐久間盛政の猛攻を耐えて豊臣方の勝利に貢献した武将でもあります。
以下、本稿では、そんな桑山重晴の生涯について見ていきましょう。 “【桑山重晴】賤ヶ岳の戦いで鬼玄蕃の猛攻に耐えた武功で和歌山城代となった武将” の続きを読む
徳川御三家・紀州徳川藩の藩祖をご存知ですか。
徳川家康の10男である徳川頼宣(とくがわよりのぶ)です。暴れん坊将軍で有名な江戸幕府8代将軍徳川吉宗の祖父でもあります。
徳川家康に寵愛され、その死後も武断政治の先鋒として幕政に影響力を及ぼしていたにもかかわらず、晩年には幕府への謀反を疑われ江戸に10年もの長きに亘ってとどめ置かれるという苦労も経験しています。
本稿では、そんな酸いも甘いも噛み分けた徳川頼宣の人生について見ていきましょう。 “【徳川頼宣】徳川家康に愛され徳川秀忠に疎まれた御三家紀州藩の祖” の続きを読む
豊臣秀吉から肥後国一国を与えることを条件に配下になるよう求められたのに、これを断って斬首を望んだ猛将をご存知ですか。
栄養状態の良くない戦国時代に180cmもの体躯を持つ巨漢で、戦場で無類の強さを発揮して鬼玄蕃と恐れられた佐久間盛政です。
織田家中の重臣一家に生まれ、金沢の基礎を築いた人物でもあります。
数々の伝説を残し、太く短い人生を走り切った佐久間盛政の人生について見ていきましょう。 “【佐久間盛政】肥後一国よりも斬首を選んだ鬼玄蕃” の続きを読む
筒井順慶をご存知ですか。
松永久秀と大和国の支配権を争い、最終的には大和国一国を勝ち取った武将なのですが、松永久秀と比べると知名度はイマイチです。
また、業績よりも「洞ヶ峠を決め込む」との語源となったパッとしないエピソードの方が有名かもしれません。
本稿では、隠れた偉人と呼べるかもしれない筒井順慶の生涯について簡単に説明していきたいと思います。 “【筒井順慶】洞ヶ峠を決め込むの語源となった大和国の戦国大名” の続きを読む
武田信玄・武田勝頼に仕えた武田四天王の1人で、武田二十四将でもある高坂昌信(春日虎綱)。
武名高い武将が煌めく武田家中で、イマイチ戦功が見えにくい武将でもあります。
なぜ、高坂昌信が武田四天王で武田二十四将なのでしょうか。
実は、突出した守りの武将なのです。引き際も完璧で「逃げ弾正」とも呼ばれます。
以下、そんな高坂昌信(春日虎綱)の生涯について見ていきましょう。 “【高坂昌信(春日虎綱)】海津城を上杉謙信から守り抜いた智将” の続きを読む
真田三代の祖である真田幸隆 。
息子・真田昌幸や孫・真田信繁と比べると知名度はやや落ちますが、活躍は全く劣りません。
外様(信濃衆)でありながら甲斐国譜代家臣同等の待遇を与えられた名将で、息子三人と共に武田二十四将にも数えられています。 “【真田幸隆】攻め弾正と呼ばれた真田三代の祖” の続きを読む
日本で農民から頂点まで上り詰めた人物挙げるとすると、ほとんどの人が豊臣秀吉の名を挙げると思います。
もっとも、余り知られていませんが、日本の歴史上、農民から頂点まで上り詰めた人物がもう1人います。
伊藤博文です。
豊臣秀吉に匹敵する究極の成り上りをした大人物ですが、意外に知名度がありません。
そこで、本稿では、もう1人の成り上がり者である伊藤博文の人生を振り返ってみたいと思います。 “【伊藤博文】農民から内閣総理大臣までのし上がった調整型リーダーの前半生” の続きを読む
日本を統一するはずだった織田家が没落してしまった最大の理由をご存知ですか。
その理由は、本能寺の変で織田信長が討たれてしまったからではありません。本能寺の変の織田信長に続いて織田信忠までもが討たれてしまったからです。
偉大な父の陰に隠れて歴史の陰に埋もれていますが、その優秀さから、織田信長が死んでも、織田信忠が生きていればおそらく織田家の日本統一は果たされていたと考えられています。
本能寺の変が起きた際、織田信忠には、逃げる、明智光秀に野戦を挑むなど様々な選択肢があったのですが、このときにとった織田信忠の判断が織田家から天下統一を喪失させてしまいました。
本稿では、ある意味で歴史を変えた男、織田信忠の人生を振り返ってみましょう。 “【織田信忠】最後の判断を誤って織田家を没落させた織田信長の後継者” の続きを読む
武田信虎・武田信玄親子の二代に亘って仕えた初代赤備えの猛将をご存知ですか。
敵から「甲山の猛虎」と恐れられた飯富虎昌です。
武田二十四将の1人として武田信玄の嫡男武田義信の傅役を任され、上田原の戦いで板垣信方・甘利虎泰が失われた後の武田家筆頭宿老として活躍した人物です。
もっとも、武田義信の傅役という立ち位置から、武田家の内紛に巻き込まれて悲しい最期を迎えます。
そんな悲劇の猛将、飯富虎昌の生涯について見ていきましょう。 “【飯富虎昌】甲山の猛虎と恐れられた初代赤備えの猛将” の続きを読む
剣豪将軍として有名な室町幕府13代将軍といえば足利義輝です。
永禄の変の際、足利家秘蔵の刀を畳に刺して応戦し、手に持った刀の刃がこぼれるたびに新しい刀に替えて寄せ手の兵と戦った末に戦死したなどという眉唾物の伝説を残しています。
この伝説の真偽はさておき、落ちていく幕府の権威をなんとか留めて復興しようと奔走し、ついには力尽きた悲しき剣豪将軍の人生を振り返ってみましょう。 “【足利義輝】衰退する室町幕府の運命に抗った13代剣豪将軍” の続きを読む