【佐久間信盛】織田信長にポイ捨てされた筆頭家老

佐久間信盛(さくまのぶもり)は、織田信長の尾張統一戦から常に織田信長に従って転戦してきた織田弾正忠家の筆頭家老でありながら、石山合戦直後に織田信長に追放された悲劇の武将です。

綺羅星の如く湧き出る織田家の有能武将の中でも、生涯を通して織田信長に従って各地を転戦し(佐久間信盛の戦歴は織田信長の戦歴と言えます。)、「木綿藤吉、米五郎三、かかれ柴田に退き(のき)佐久間」と呼ばれた戦巧者としてこき使われた挙句、織田信長にポイ捨てされたという悲しい結末を迎えた人物です(なお、退き佐久間とは、殿軍の指揮を得意としたことに由来したあだ名です)。

本稿では、そんな悲しき武将の生涯について見ていきましょう。 “【佐久間信盛】織田信長にポイ捨てされた筆頭家老” の続きを読む

【多聞城(多聞山城)】大和国支配のため宗教勢力と戦う松永久秀の居城

多聞城は、三好政権下において松永久秀が難治の国と言われた大和国に侵攻するための橋頭保とするために築かれ、大和国平定後には巨大宗教勢力であった東大寺と興福寺を押さえつけ睨みを利かせるために用いられた城です。

戦国期の城の代表格と言える安土城の15年も前に築かれた城であったにもかかわらず、瓦葺きの屋根・漆喰塗りの白壁・四階建の高矢倉など、後世の築城に大きな影響を与えた画期的な城です。後の城で多用された多聞櫓の名称の由来となった櫓の発祥地となった城でもあります。

本稿では、そんな歴史的に重要な意味を持つ多聞城について紹介していきます。 “【多聞城(多聞山城)】大和国支配のため宗教勢力と戦う松永久秀の居城” の続きを読む

【以仁王の令旨】平家滅亡のきっかけとなった御教書

源氏が蜂起し、平家打倒のきっかけとなったのが、有名な以仁王の令旨です。

以仁王は、「平氏方の武将であった」源頼政に担がれて平家打倒に立ち上がったのですが、打倒計画の杜撰さと準備不足から早々に計画が露見し、両人とも宇治・平等院で敗死します。

もっとも、以仁王が挙兵の際に出した令旨が、平氏打倒の契機となって諸国の反平家勢力が兵を挙げ、全国的な動乱である治承・寿永の乱が始まるのです。

以下、以仁王の令旨について、以仁王と源頼政の反平家計画の経過を追いながら見ていきましょう。 “【以仁王の令旨】平家滅亡のきっかけとなった御教書” の続きを読む

【筒井城】筒井氏8代の栄枯盛衰を見届けた大和国の古城

筒井城は、大和国・興福寺一乗院に属する有力宗徒で宗徒の取締役として筒井城を拠点に武士化し、筒井順慶の代に戦国大名となった筒井氏の居城です。

何度も争奪戦の舞台となり、後に筒井順慶大和郡山城に移るまで筒井氏の栄枯盛衰を見届けた城でもあります。

以下、筒井氏と共に波乱万丈の戦国乱世を生き抜いた筒井城の歴史について見ていきます。
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【多々良浜の戦いから湊川の戦いまで】建武政権が足利尊氏に敗れた終盤戦

鎌倉幕府討伐後、その功労者である後醍醐天皇と足利尊氏確執は、中先代の乱の後に始まります。

両者の争いは、中先代の乱の後、矢作川の戦い、手越河原の戦い、箱根・竹ノ下の戦い、第一次京都合戦、打出・豊島河原の戦い、多々良浜の戦い、湊川の戦いを経て建武政権が倒れて終了します。

これらの一連の戦いのうち、前回建武政権が足利尊氏を追い払った前半戦を説明しましたので、今回は、足利尊氏が勢力を盛り返した多々良浜の戦いから建武政権終焉と室町幕府設立のきっかけとなった湊川の戦いまでについて見ていきましょう。 “【多々良浜の戦いから湊川の戦いまで】建武政権が足利尊氏に敗れた終盤戦” の続きを読む

【細川ガラシャ】心の平穏をキリスト教に求めた戦国姫

明智光秀の娘として産まれ、戦国屈指の美女として戦国の雄・細川忠興と結婚して幸せな生活を送っていた細川ガラシャですが、父・明智光秀の謀反により裏切者の娘として蔑まれる人生を送ることとなります。

幽閉・監視下での生活の安らぎをキリスト教に求め、心の平穏を取り戻した細川ガラシャですが、その後石田三成の人質となるのを嫌って死を選び悲劇のヒロインとなります。

そんな細川ガラシャの悲しい人生について見ていきましょう。 “【細川ガラシャ】心の平穏をキリスト教に求めた戦国姫” の続きを読む

【足利尊氏離反から豊島河原合戦まで】建武政権が足利尊氏に勝っていた序盤戦

鎌倉幕府討伐後、その功労者である後醍醐天皇と足利尊氏確執は、中先代の乱の後に始まります。

両者の争いは、中先代の乱の後、矢作川の戦い、手越河原の戦い、箱根・竹ノ下の戦い、第一次京都合戦、打出・豊島河原の戦い、多々良浜の戦い、湊川の戦いを経て建武政権が倒れて終了します。

本稿では、これらの一連の戦いのうち、建武政権方が有利に展開していた中先代の乱から豊島河原の戦いまでについて見ていきましょう。 “【足利尊氏離反から豊島河原合戦まで】建武政権が足利尊氏に勝っていた序盤戦” の続きを読む

【槇島城の戦い】足利義昭が追放され室町幕府が滅亡した戦い

室町幕府が滅亡することとなった戦いをご存知ですか。

室町幕府最後の将軍足利義昭は、元亀4年(1573年)に2回も織田信長と戦い、遂に敗れて室町幕府が滅亡します。

この室町幕府滅亡に至った最後の戦いが槇島城の戦いです。

槇島城の遺構がほとんど残っていないこと、市街地がから離れているため土地勘が薄い人が多いこと、近くにあった巨椋池が埋め立てられて当時とは地形が異なっていることなどから、室町幕府という一大勢力がなくなった戦いであるにもかかわらず知名度が低く、マイナーすぎる評価を受けています。

本稿では、そんな歴史の闇に埋もれてしまいそうな大戦、槇島城の戦いについて簡単に見ていきましょう。 “【槇島城の戦い】足利義昭が追放され室町幕府が滅亡した戦い” の続きを読む

【藤原清衡】前九年の役・後三年の役の唯一勝者となった奥州藤原氏4代の祖

藤原清衡(ふじわらのきよひら)は、今からおよそ900年前に京から遠く離れ未開の地と言われた奥州でのし上がり、遂には都を凌駕するともいわれる栄華を極めた奥州藤原氏4代の祖となった人物です。

名門藤原氏の血を有しながら、奥州の血で命の危険を何度も潜り抜けて泥臭く生き抜いた人物でもあります。

本稿では、そんな波瀾万丈の人生を歩んだ藤原氏初代当主の人生を振り返っていきたいと思います。 “【藤原清衡】前九年の役・後三年の役の唯一勝者となった奥州藤原氏4代の祖” の続きを読む

【安土城(日本100名城51番)】織田信長の最後の城

安土城は、全国統一を目前にして夢破れた織田信長の最後の拠点です。

山城であるにもかかわらず、土塁上に石垣を巡らしたり、その石垣の上に天守を乗せたりするなど当時としては革新的な技術も数々見受けられます。

本稿では、そんな安土城について、できるだけ簡単にその歴史・縄張り等について説明したいと思います。 “【安土城(日本100名城51番)】織田信長の最後の城” の続きを読む