九鬼嘉隆(くきよしたか)は、織田信長・羽柴秀吉の水軍を支えた海賊大名として有名です。
志摩国の国衆として身を起こし、一旦は国を追われたものの織田信長の下で出世を遂げ、志摩国一国を含めた3万5000石を擁する大名となるまでに出世をしていきます。
また、第二次木津川口の戦いの際に、船を鉄板で覆って防御力を高め、積載した大砲で敵船を粉砕する鉄甲船を駆使したことにより、今日にまで名を残すほど有名大名となります。
もっとも、この後の活躍は結構微妙で、文禄の役では朝鮮水軍に敗れて叱責を受け、関ヶ原の戦いで西軍に味方した責めをとって自刃するという最期を遂げています。
本稿では、波乱万丈な人生を送った海賊大名・九鬼嘉隆の人生について見ていきたいと思います。 “【九鬼嘉隆】鉄甲船を駆使して毛利水軍を粉砕した志摩国の海賊大名” の続きを読む




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