尾張国では、織田信秀の代から織田弾正忠家の尾張国内での勢力拡大と今川義元との間での熾烈な尾張・三河領土争奪戦が繰り広げられていました。
これらの戦いは、織田信秀が死亡して織田弾正忠家の家督を織田信長が引き継いだ後も、織田信長の尾張国統一戦として約7年間も繰り広げられます。
織田・今川の一進一退の攻防は、鳴海城・大高城・沓掛城を獲得した今川義元が優位に進め、今川義元がさらに知多半島に勢力を及ぼすべく緒川城の攻略を目指して前線基地である村木砦を建築します。
このとき、この脅威を取り除くため、緒川城主・水野信元が、21歳の若き織田信長に対して村木砦の攻略を依頼して起きたのが村木砦の戦い(むらきとりでのたたかい)です。 “【村木砦の戦い】今川義元から緒川城を防衛するための戦い” の続きを読む