【彦根城(100名城50番)】佐和山城を廃して築かれた井伊家の居城

彦根城は、江戸時代初期に築かれた井伊家・彦根藩の政庁がおかれた滋賀県彦根市金亀町に現存する城であり、別名を金亀城といいます。

天守が国宝指定された城で、マスコットキャラクターのひこにゃんでも有名です。

また、天守の魅力はもちろんですが、関ヶ原の戦いの直後に築かれた城ですので、城全体として最高度の防御力を有する堅城でもあります。 “【彦根城(100名城50番)】佐和山城を廃して築かれた井伊家の居城” の続きを読む

【赤備え】戦国最強の精鋭部隊

戦国時代、最強の精鋭部隊の代名詞であった赤備え。

赤備えは、軍団の編成・装飾の一種で、兵の頭のてっぺんから足のつま先まで(具足、兜、鎧、槍刀、手甲脚絆などから旗指物、陣羽織にいたるまで)の全てを朱色で統一した騎兵部隊です。

赤備え部隊は戦場で目立ちますので、当然的に狙われやすくなりますので、過酷や戦場を生き抜いてきた最精鋭部隊と認められていました。

以下、赤備え部隊として有名な四将についてその成り立ちから順に概略を見て見ましょう。 “【赤備え】戦国最強の精鋭部隊” の続きを読む

【杉谷善住坊】織田信長の狙撃に失敗し鋸挽き刑に処された男

杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)という名を聞いたことがありますか。

この名を聞いてピンときたあなたは相当の日本史マニアです。

杉谷善住坊は、織田信長を狙撃した人物として有名な人物です。 “【杉谷善住坊】織田信長の狙撃に失敗し鋸挽き刑に処された男” の続きを読む

平安時代と平安京の概略

「鳴くよ鶯平安京」。有名すぎる語呂合わせの年の平安遷都により平安時代が始まりました。

日本史では比較的マイナー分野で苦手としている人も多いのではないでしょうか。

平安時代は、天皇親政のために奈良仏教から逃れるための京都遷都に至る経緯と、天皇親政の時代、天皇の権力が貴族に奪われた時代、貴族の権力が上皇に奪われた時代という段階を踏まえれば理解しやすいと思います。

本稿では、この順に平安時代の概略を説明します。 “平安時代と平安京の概略” の続きを読む

【戦国時代の足軽】合戦の主戦力となった下級兵士

戦国時代における集団戦闘の主戦力と言えば足軽です。

足軽と聞くと古くから合戦の主力となっていたようなイメージを持ちがちなのですが、実は違います。

足軽は、元々武士同士の一騎打ちの場であった合戦の常識を根本からひっくり返した存在なのです。

某有名アニメででいうところのザクやジムのようなイメージであり、合戦を個人の武の勝負から物量戦に変化させるに至った存在です。すなわち、同アニメの某キャラクターが言った「戦争は数だよ」という名言を体現した存在です。

本稿では、戦の概念を一変させた足軽について、主にその成り立ちから戦国期までの役割について簡単に説明したいと思います。 “【戦国時代の足軽】合戦の主戦力となった下級兵士” の続きを読む

【大津城】関ヶ原の戦いを東軍勝利に導いた琵琶湖城

大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津(現在の滋賀県大津市浜大津、京阪電鉄びわ湖浜大津駅周辺一帯)にあった水城です。

元々坂本にあった要を大津に移して築かれた城で、関ヶ原の戦いの前哨戦である大津城の戦いで東軍勝利に大きな健闘をした城でもあります。

以下、大津城の歴史を簡単に説明します。 “【大津城】関ヶ原の戦いを東軍勝利に導いた琵琶湖城” の続きを読む

【石山合戦】織田信長の10年に亘る石山本願寺争奪戦

足利義昭を奉じて上洛した後そのまま畿内を制圧した織田信長は、その後の勢力拡大を見据えて次の本拠地候補として石山本願寺がある大坂の地に目をつけます。

そして、織田信長は、石山本願寺の代表である本願寺顕如に対して、石山本願寺明け渡しを要求します。

もっとも、織田信長の要求は、本願寺顕如にとっては信仰の本拠地の引渡しですので、これに応じられるはずもありません。

怒った織田信長が、武力により目的達成を図ったため、ここから10年もの長きに亘る戦国時代最大の宗教的武装勢力である本願寺勢力と、天下布武を目指す織田信長との決戦が始まります。

石山合戦です(当時の資料には石山という言葉は出てきませんので、正確に書くなら大坂本願寺というべきなのでしょうが、本稿ではわかりやすく石山と表記します。)。 “【石山合戦】織田信長の10年に亘る石山本願寺争奪戦” の続きを読む

【第二次信長包囲網】反織田信長勢力の結集と崩壊

足利義昭を奉じて上洛し、圧倒的な軍事力で次々と周辺勢力を取り込んでいった織田信長ですが、第一信長包囲網の最終期に浅井長政・朝倉義景を追って比叡山延暦寺を取り囲んだ際(志賀の陣)、各地で反織田信長の挙兵が続発します。

室町幕府15代将軍である足利義昭は、この反織田信長勢力の勢いを見て、これに便乗して自らに対する織田信長の影響力を相対的に低下させようと画策します。

足利義昭は、元亀2年(1571年)ころ有力大名等に反織田信長の決起を求める御内書の宣下をし、これに呼応する形となる抵抗勢力と織田信長とのいたちごっこが始まります。 “【第二次信長包囲網】反織田信長勢力の結集と崩壊” の続きを読む

【第一次信長包囲網】織田信長の畿内制圧と包囲網形成の経緯

織田信長は、足利義昭を奉じて上洛して畿内の実権を握った後、抵抗勢力との果てしない戦いを繰り広げることとなります。

本稿では、信長の上洛と、その後の第一次信長包囲網に至るまでの経緯について簡単に紹介したいと思います。 “【第一次信長包囲網】織田信長の畿内制圧と包囲網形成の経緯” の続きを読む