明石城については、JR明石駅からそびえたつ石垣や櫓が目の前に飛び込んできますので目にしたことがある方が多いのではないでしょうか。建物自体の多くは現存していませんが、明治以降の旧藩士の働きかけや天皇の御料地候補となったことがあったため、多くの曲輪が残されていることも見どころとなっています。
もっとも、明石城は、天守が存在しなかったこと、近くに有名な姫路城があること、合戦経験がないために脚光を浴びることがなかったことなどの理由により知名度はいまいちです。
明石城は、江戸幕府による山陽道上の城郭整備の一環を担う姫路城に並ぶ超重要拠点であり、本来は注目を浴びてしかるべき城でありこの知名度の低さは本意ではありませんので、本稿で簡単にその位置づけから説明したいと思います。 “【明石城(日本100名城58番)】西国大名の東上を防ぐため山陽道に配された巨城” の続きを読む