【槇島城の戦い】足利義昭が追放され室町幕府が滅亡した戦い

室町幕府が滅亡することとなった戦いをご存知ですか。

室町幕府最後の将軍足利義昭は、元亀4年(1573年)に2回も織田信長と戦い、遂に敗れて室町幕府が滅亡します。

この室町幕府滅亡に至った最後の戦いが槇島城の戦いです。

槇島城の遺構がほとんど残っていないこと、市街地がから離れているため土地勘が薄い人が多いこと、近くにあった巨椋池が埋め立てられて当時とは地形が異なっていることなどから、室町幕府という一大勢力がなくなった戦いであるにもかかわらず知名度が低く、マイナーすぎる評価を受けています。

本稿では、そんな歴史の闇に埋もれてしまいそうな大戦、槇島城の戦いについて簡単に見ていきましょう。 “【槇島城の戦い】足利義昭が追放され室町幕府が滅亡した戦い” の続きを読む

【藤原清衡】前九年の役・後三年の役の唯一勝者となった奥州藤原氏4代の祖

藤原清衡(ふじわらのきよひら)は、今からおよそ900年前に京から遠く離れ未開の地と言われた奥州でのし上がり、遂には都を凌駕するともいわれる栄華を極めた奥州藤原氏4代の祖となった人物です。

名門藤原氏の血を有しながら、奥州の血で命の危険を何度も潜り抜けて泥臭く生き抜いた人物でもあります。

本稿では、そんな波瀾万丈の人生を歩んだ藤原氏初代当主の人生を振り返っていきたいと思います。 “【藤原清衡】前九年の役・後三年の役の唯一勝者となった奥州藤原氏4代の祖” の続きを読む

【安土城(日本100名城51番)】織田信長の最後の城

安土城は、全国統一を目前にして夢破れた織田信長の最後の拠点です。

山城であるにもかかわらず、土塁上に石垣を巡らしたり、その石垣の上に天守を乗せたりするなど当時としては革新的な技術も数々見受けられます。

本稿では、そんな安土城について、できるだけ簡単にその歴史・縄張り等について説明したいと思います。 “【安土城(日本100名城51番)】織田信長の最後の城” の続きを読む

【木曾義仲(源義仲)】京から平家を追放した朝日将軍の転落人生

木曾義仲は、平氏打倒で名を挙げて旭将軍として謳われるなど誰もがうらやむ名声を得ながら、人心を失って悲しい最期を遂げた人物です。

平家物語に描かれた、幼い頃から苦楽を共にしてきた巴御前との別れのエピソードなどが有名かもしれません。

本稿では、そんな波瀾万丈の人生を駆け抜けた木曾義仲の生涯について、できるだけわかりやすく説明していきたいと思います。 “【木曾義仲(源義仲)】京から平家を追放した朝日将軍の転落人生” の続きを読む

【富士川の戦い】平家打倒で挙兵した源頼朝が関東武士団を統べるに至った合戦

安徳天皇の外戚となるなど、平氏にあらずんばひとにあらずとまで言われた栄華を誇った平氏ですが、その驕りから各地で平氏に対する不満が高まっていきます。

そして、治承4年(1180年)4月9日、源頼政と共に高倉天皇の兄宮である以仁王が挙兵し、「最勝親王」と名乗って諸国の源氏や大寺社に平氏追討の令旨を下します。

そして、この以仁王の令旨は、各地の反平氏勢力を刺激し、各地で反平氏の武装蜂起が起きます。

その多くは、早期に鎮圧されますが、源頼朝(河内源氏)、源義仲(河内源氏)、武田信義(甲斐源氏)の3勢力は、平氏勢力を蹴散らして生き残ります。

このうち源義仲は独力で京を目指すのですが、源頼朝と武田信義は協力して進んでいきます。

本稿では、この対平氏3勢力のうち、源頼朝の挙兵後の動きについて、武田信義との関係性にも配慮しつつ見ていきます。 “【富士川の戦い】平家打倒で挙兵した源頼朝が関東武士団を統べるに至った合戦” の続きを読む

源頼朝による東国支配と鎌倉幕府政治構造

源頼朝による武家政権樹立は、源頼朝挙兵→東国私兵団として成立→公認東国私兵団→守護地頭設置権獲得→東北支配権→恒久的守護設置権→征夷大将軍任命という流れで確立していきます(完成は、承久の乱勝利後です。)。

この間、源頼朝はそのほとんどを鎌倉にて政治を行い鎌倉を離れていません。

すなわち、源頼朝の武家政権の樹立は、鎌倉で始まり,その後配下をうまく使って全国に拡大させていったのです。

本稿では、そんな源頼朝による武家政権の樹立のうちの初期の段階である鎌倉の開拓と東国支配に至るまでの流れについて見ていきたいと思います。 “源頼朝による東国支配と鎌倉幕府政治構造” の続きを読む

【桑山重晴】賤ヶ岳の戦いで鬼玄蕃の猛攻に耐えた武功で和歌山城代となった武将

桑山重晴(くわやましげはる)の名を聞いたことがありますか。

正直マイナーすぎる武将ですが、実は数々の武功を挙げ、賤ヶ岳の戦いでは佐久間盛政の猛攻を耐えて豊臣方の勝利に貢献した武将でもあります。

以下、本稿では、そんな桑山重晴の生涯について見ていきましょう。 “【桑山重晴】賤ヶ岳の戦いで鬼玄蕃の猛攻に耐えた武功で和歌山城代となった武将” の続きを読む

【徳川頼宣】徳川家康に愛され徳川秀忠に疎まれた御三家紀州藩の祖

徳川御三家・紀州徳川藩の藩祖をご存知ですか。

徳川家康の10男である徳川頼宣(とくがわよりのぶ)です。暴れん坊将軍で有名な江戸幕府8代将軍徳川吉宗の祖父でもあります。

徳川家康に寵愛され、その死後も武断政治の先鋒として幕政に影響力を及ぼしていたにもかかわらず、晩年には幕府への謀反を疑われ江戸に10年もの長きに亘ってとどめ置かれるという苦労も経験しています。

本稿では、そんな酸いも甘いも噛み分けた徳川頼宣の人生について見ていきましょう。 “【徳川頼宣】徳川家康に愛され徳川秀忠に疎まれた御三家紀州藩の祖” の続きを読む

【和歌山城(日本100名城62番)】徳川御三家・紀州徳川家の居城

言わずと知れた徳川御三家の1つ紀州徳川藩の居城・和歌山城。

余り知られていませんが、御三家でありながら江戸幕府に対する藩主の謀反を疑われて惣構え構造の完成を見なかった城でもあります。

とは言え、その縄張りの見事さ、石垣の妙、重要文化財として残る岡口門、庭園や復元された御橋廊下の美しさなど一見の価値があることに疑問の余地はありません。

そこで、本稿は、和歌山城観光をより楽しむための前提となる和歌山城の歴史知識を簡単に説明します。 “【和歌山城(日本100名城62番)】徳川御三家・紀州徳川家の居城” の続きを読む

【武田信玄の佐久盆地侵攻】若き武田信玄の信濃侵攻作戦第3段となる佐久郡攻略戦

信濃国内で諏訪盆地・伊那盆地北部を獲得した武田信玄は、次に佐久盆地獲得を目指します。

主たる攻略対象は、大井貞清が治める内山城と笠原清繁が治める志賀城です。

なお、本稿がどの段階の話であるかについては、別稿【武田信玄の領土拡大の軌跡】をご参照ください。

“【武田信玄の佐久盆地侵攻】若き武田信玄の信濃侵攻作戦第3段となる佐久郡攻略戦” の続きを読む