【日本三名鐘】姿の平等院鐘・声の園城寺鐘・銘の神護寺鐘について

日本三名鐘は、日本全国の寺院内にある梵鐘のうち、特に優れたものとされる3つの鐘です。

平等院鐘・園城寺鐘・神護寺鐘が挙げられるのが一般的であり、「姿の平等院鐘」・「声の園城寺鐘」・「銘の神護寺鐘」と呼ばれ称えられてきました。

以下、これらの日本三名鐘について簡単に紹介していきたいと思います。 “【日本三名鐘】姿の平等院鐘・声の園城寺鐘・銘の神護寺鐘について” の続きを読む

【日本三古橋】山崎太郎(山崎橋)・勢多次郎(瀬田の唐橋)・宇治三郎(宇治橋)について

日本三古橋は、飛鳥時代から奈良時代にかけて架けられたとされる古橋の中で、さらに歴史のある大きな3つの橋をいいます。

古来より「三大・・」が好きな日本人は、古代に架けられた橋についても日本三古橋と称してランク付けを行い、誰がどういう根拠で定めたのかは知りませんが、それらを三兄弟に例えて山崎太郎(山崎橋)、勢多次郎(瀬田の唐橋)、宇治三郎(宇治橋)と呼んで讃えました。

そこで、本稿では、それらの概略を簡単に説明していきたいと思います。

なお、文献上確認できる日本最古の橋は、仁徳天皇14年(326年)に架けられた猪甘津橋(鶴橋)とされているのですが(日本書紀)、この橋は日本三古橋に含まれておりません。 “【日本三古橋】山崎太郎(山崎橋)・勢多次郎(瀬田の唐橋)・宇治三郎(宇治橋)について” の続きを読む

【日本三大土塀】太閤塀・信長塀・大練塀

日本三大土塀とは、日本全国に点在する土塀の中で、歴史のある3つの土塀をいいます。

誰が・いつ・どういう根拠で定めたのかは不明ですが、古来より「三大・・」が好きな日本人は土塀についてもランク付けをしており、太閤塀・信長塀・大練塀が日本三大土塀とされるのが一般的ですので、それぞれ簡単に紹介したいと思います。 “【日本三大土塀】太閤塀・信長塀・大練塀” の続きを読む

【日本三大石鳥居】日光東照宮一之鳥居・八坂神社旧三之鳥居・鶴岡八幡宮一之鳥居

日本三大石鳥居とは、日本全国に点在する石造鳥居の中で、さらに歴史のある大きな3つの鳥居をいいます。

古来より「三大・・」が好きな日本人は、平和になって庶民が旅行をする余裕が出来始めた江戸時代になると、石鳥居についても日本三大石鳥居と称してランク付けをしてきました。

誰がどういう根拠で定めたのかは知りませんが、日光東照宮・一之鳥居、八坂神社・旧三之鳥居、鶴岡八幡宮・一之鳥居が日本三大石鳥居とされるのが一般的ですので、それぞれ簡単に説明したいと思います。

なお、いずれもあまりにも大きな鳥居であるため、その柱に切れ目があり、二つの石をつなぎ合わせて造られています。 “【日本三大石鳥居】日光東照宮一之鳥居・八坂神社旧三之鳥居・鶴岡八幡宮一之鳥居” の続きを読む

【現存12三重櫓】江戸時代から残る8城12基の三重櫓について

これまでに日本国内に2万とも3万とも言われる城が築かれました。

そのうち、現在、城址としてその名残が残っているのは僅かであり、さらに一般人が見学して楽しめるのは数百城程度しかありません。

また、このうち、江戸時代以前に建てられた三重櫓が現存しているのは、僅か8城12基しかなくとても貴重です。

本稿では、この現存する貴重な12の三重櫓について簡単に紹介していきたいと思います。 “【現存12三重櫓】江戸時代から残る8城12基の三重櫓について” の続きを読む

【日本三大仏】鎌倉東大寺大仏・鎌倉高徳院大仏+α

日本に点在する寺院には当たり前のように仏像が祀られているのですが、その中にはとてつもなく大きな仏像が祀られている寺院もあります。

このとてつもなく大きな仏像を、略して大仏と呼んでいます。

古来より「三大・・」が好きな日本人は、大仏についても日本三大仏と称してランク付けをしてきました。

この日本三大仏については、その概念が出来上がったとされる江戸時代の時点では、すでに奈良大仏と鎌倉大仏が存在していましたので、これらが三大仏に含まれることに異論はありません。

もっとも、最後の3尊目の大仏については定説がなく、その候補がいくつも存在します。

また、時代ごとにその変遷も見られます。

本稿では、日本三大仏について、その時代的変遷を踏まえて簡単に紹介していきたいと思います。 “【日本三大仏】鎌倉東大寺大仏・鎌倉高徳院大仏+α” の続きを読む

【日本三大三門】南禅寺三門・知恩院三門・久遠寺三門について

伝統的な日本の仏教寺院には山門と呼ばれる門が設置されていることが一般的であり、その山門のうち、当該寺院の正門に配された中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたものを「三門」といいます。特に、禅宗寺院に多く見られる建築物です。

このうち、南禅寺・知恩院・久遠寺は日本三大三門と呼ばれており、考えられない巨大さで見る者を圧倒するスケール感があり、これを見るためだけに観光として訪れる価値があるのではないかと考えられます。

この他にも、京都三大三門と呼ばれる区分けがあったり、それらに含まれてはいないものの、同等クラスの歴史ある巨大な三門が全国各地に点在したりしてますので、本稿では、これらの三門についてもあわせて簡単に紹介していきたいと思います。 “【日本三大三門】南禅寺三門・知恩院三門・久遠寺三門について” の続きを読む

【天皇陵一覧】宮内庁治定の歴代天皇の葬送地

天皇陵とは、天皇が葬られた場所を言い、その根拠は皇室典範27条に求められます。

皇室典範27条では、天皇・皇后・太皇太后及び皇太后を葬る所を陵というとしていますので(その他の皇族を葬る所は墓とししています。)、陵のうち天皇が葬られた場所を「天皇陵」ということとなるのです。

日本に点在する陵墓の被葬者を特定することを「治定」といい、治定作業は古くは江戸時代(元禄~文久年間)からその当時の学問水準を基にして行われており、今日の水準からすると疑問点の多いものとなっています。

もっとも、これまでに天皇陵として治定されたものは宮内庁の管理下におかれ、発掘調査どころかその立入さえ許さないという制限を受けていますので、その真偽を質すことさえ出来ない状況となっているということを理解した上で本稿をご参照いただければ幸いです。

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【日本の都一覧】天皇の代替わり毎に行われていた遷都の歴史

現在の日本の首都は東京都(正確には東京奠都がなされていますので京都もまた首都であるはずです。)です。

延暦13年(794年)の平安京遷都後は1000年以上も同じ場所に置かれていたためにあまり知られていませんが、それまでは天皇の代替わり毎に(場合によっては同一天皇の代に複数回)に都の場所が移転していたため、歴史的に見ると日本ではこれまで相当数の遷都が行われてきました。

本稿では、日本において遷都が繰り返されてきた理由を説明し、その経緯を一覧化して列挙していきたいと思います。 “【日本の都一覧】天皇の代替わり毎に行われていた遷都の歴史” の続きを読む

【五十七次に延伸された東海道】京街道と大津街道を歩く

五十三次として有名な東海道は整備された当初は江戸の日本橋と京の三条大橋との間を繋ぐ街道だったのですが、江戸時代初期に京から大坂まで延伸されて五十七次となっています。

このとき延伸されたのが伏見までの大津街道と伏見から大坂までの京街道の合計約54kmです(なお、大坂と京を結んだ街道については、京側からは京街道、大坂側からは大坂街道と言われました。)。

一般的には京街道とは京へ向かう街道の総称なのですが、そのなかでも後に東海道として延伸された大津街道及び京街道が特に有名ですので、本稿では、この延伸東海道(京街道・大津街道)についてその概略を説明したいとます。 “【五十七次に延伸された東海道】京街道と大津街道を歩く” の続きを読む