日本三名鐘は、日本全国の寺院内にある梵鐘のうち、特に優れたものとされる3つの鐘です。
平等院鐘・園城寺鐘・神護寺鐘が挙げられるのが一般的であり、「姿の平等院鐘」・「声の園城寺鐘」・「銘の神護寺鐘」と呼ばれ称えられてきました。
以下、これらの日本三名鐘について簡単に紹介していきたいと思います。
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姿の平等院鐘
平等院鐘は、平等院(京都府宇治市宇治蓮華116)に設置された平等院ミュージアム・鳳翔館に展示されている鐘です。
平等院鐘は、銘文がないために製作時期が特定されていないものの、天喜元年(1053年)頃に平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立されるのに合わせて鋳造と考えられています。
その全面に天人・獅子・唐草文様などの浮き彫りが施された鐘であり、数ある日本の梵鐘の中でもとりわけ華麗な装飾文様を施したものとして知られ、国宝に指定されています(写真撮影不可)。
現在は、現物に代わって複製された鐘が鐘楼に吊るされていますので、往時のイメージを偲ぶことができます。
声の園城寺鐘
園城寺鐘は、天台寺門宗総本山・園城寺(三井寺・滋賀県大津市園城寺町246)にある鐘です。
園城寺鐘は、慶長7年(1602年)、それまで同寺にかけられていた承平年間(931年~938年)鋳造の古鐘「弁慶の引き摺りの鐘」の音が鳴らなくなったとして、その後継として鋳造されました(なお、現在、弁慶の引き摺りの鐘は霊鐘堂に安置されています。)。
梵鐘は、その大きさ・湾曲などの形状・厚み等によりその音色が変化し、良い音色を出すためには様々技術と工夫が必要とされています。
そんな中、園城寺鐘は、数ある日本の梵鐘の中でもとりわけ見事な音色を奏でる鐘として知られており、現在は国の重要文化財に指定されています。
銘の神護寺鐘
神護寺鐘は、高野山真言宗遺迹本山・神護寺(京都市右京区梅ヶ畑高雄町5)にある鐘です。
神護寺鐘は、貞観17年(875年)に鋳造された口径約80.3cm・高さ約147.6cmの鐘です(なお、鐘自体に貞観17年鋳造の文字が記されていることから鋳造年に争いはありません。)。
神護寺の鐘に記された序・銘・書のいずれもが当時の三絶(橘広相、菅原是善、藤原敏行)によることから「三絶之鐘」と称され、その見事さから「銘の神護寺」と呼ばれ国宝に指定されています。
なお、神護寺鐘がかけられている鐘楼は、元和年間(1615年~1624年)に京都所司代板倉勝重の寄進によって再建されたものです。
また、神護寺鐘は同寺鐘楼に吊るされているのですが、一般公開はなされておりません。
参考:日本三大梵鐘
前記の日本三名鐘とは別の括りとして、その大きさを評した日本三大梵鐘というまとめかたもあります。
東大寺鐘・知恩院鐘、方広寺鐘がこれに数えられます。
参考① 勢の東大寺鐘
東大寺鐘は、華厳宗大本山・東大寺(奈良市雑司町406ー1)にある鐘です。
当初の東大寺鐘は、東大寺大仏鋳造に合わせて天平勝宝4年(752年)に鋳造されたのですが、これはその後に失われ、1207年から1210年までの間に栄西禅師により再鋳造されたものが現在の東大寺鐘となります(梵鐘・鐘楼ともに国宝)。
現存する東大寺鐘は、口径約2.708m・高さ約3.853m・重さ約26.364tもある巨大な鐘であり、中世以前の梵鐘として最大規模を誇るその大きさから「奈良太郎」と称されます。
また、その大きさから「勢の東大寺」とも称され、神護寺鐘に代わって「日本三名鐘」の1つ呼ばれる場合もあります。
参考② 知恩院鐘
知恩院鐘は、浄土宗総本山・知恩院(京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町400)にある鐘です。
知恩院鐘は、寛永13年(1636年)に鋳造されたものであり、延宝6年(1678年)に再建された鐘楼と共に重要文化財に指定されています。
知恩院鐘は、口径約2.8m・高さ約3.3m・重さ約70tもある巨大な鐘です。
参考③ 方広寺鐘
方広寺鐘は、天台宗寺院・方広寺(京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2)にある鐘です。
方広寺鐘は、豊臣秀頼が方広寺大仏及び大仏殿を再建した慶長17年(1612年)にあわせて鋳造されました。
その大きさは、口径約2.8m・高さ約4.2m・重さ約82.7tという巨大な鐘であり、重要文化財に指定されています。
この鐘は、その巨大さもさることながら、釣鐘に刻印された銘文のうちの「国家安泰」・「君臣豊楽」の文字が、徳川家康の名前を分断して豊臣家の繁栄を祈願するものとして徳川家康に難癖をつけられ、大阪の陣の引き金となった方広寺鐘銘事件の原因となった鐘として有名です。