【八田知家】常陸守護として鎌倉幕府を支え小田城を築城した常陸国小田氏の祖

八田知家(はったともいえ)は、石橋山の戦いに敗れて安房国に逃れてきた源頼朝の下に参じ、その後鎌倉幕府を創成期から支えた御家人の1人です。

源頼家の時代に設置された最高幹部による合議体である13人の合議制の構成メンバーでもあります。

常陸守護となり、小田城を築城し、後に常陸国の最大勢力ともなった小田氏の始祖でありますが、知名度はイマイチです。

本稿では、重要人物であるにもかかわらずマイナー扱いに甘んじている八田知家について見ていきたいと思います。 “【八田知家】常陸守護として鎌倉幕府を支え小田城を築城した常陸国小田氏の祖” の続きを読む

【源頼家】13人の合議制により権力を制限された後に北条氏に暗殺された第2代鎌倉殿

源頼家(みなもとのよりいえ)は、鎌倉幕府を開幕したカリスマ源頼朝の急死により18歳の若さで第2代鎌倉殿の地位を継いだ人物です。

その後、鎌倉幕府第2代征夷大将軍ともなっていますが、有力御家人13人からなる合議制によって将軍権力を制限され、死の寸前に至る大病を患い、御家人間の権力争いに巻き込まれて追放され、挙げ句の果てには祖父に暗殺されるという悲しい人生を送った人物でもあります。

本稿では、そんな悲劇の将軍・源頼家の人生について見ていきたいと思います。 “【源頼家】13人の合議制により権力を制限された後に北条氏に暗殺された第2代鎌倉殿” の続きを読む

【大江広元】貴族で文官という異質な鎌倉幕府初代政所別当

大江広元(おおえのひろもと)は、下級貴族でありながら鎌倉幕府政治に参画し、源頼朝の側近となって鎌倉幕府の創設に貢献した人物です。

無骨な東国武士とは異なり貴族文化に精通したため代わりがおらず、また終始北条氏に協力したために北条氏に粛清されることなく天寿を全うした人物でもあります。

本稿では、文官でありながら鎌倉幕府の幹部として活躍した大江広元の人生について見て行きたいと思います。 “【大江広元】貴族で文官という異質な鎌倉幕府初代政所別当” の続きを読む

【源実朝】甥の公暁に暗殺された鎌倉幕府最後の源氏将軍

源実朝(みなもとのさねとも)は、北条氏による専制政治の神輿として12歳の若さで鎌倉幕府第3代征夷大将軍に就任した人物です。

名目上は武士の頂点にいるはずなのですが、実質的にはお飾りであったため、武士としての立場を諦め、公家の文化に心酔していった人物でもあります。

その結果、歌人としても名高く、92首が勅撰和歌集に入集したり、小倉百人一首にも選ばれたり、自撰の和歌集である金槐和歌集まで発表しています。

政治に興味を失った源実朝でしたが、用済みになると北条家にけしかけられた甥で猶子でもあった公暁に暗殺されるという悲しい最期を迎えます。

本稿では、この源実朝暗殺事件について、その発生機序から順に解説していきます。 “【源実朝】甥の公暁に暗殺された鎌倉幕府最後の源氏将軍” の続きを読む

【北条時政】鎌倉幕府初代執権となった北条政子の父

北条時政(ほうじょうときまさ)は、源頼朝の妻・北条政子の父であり、流人に過ぎない源頼朝に味方して反平家の兵を挙げ、東国の一豪族に過ぎなかった北条氏を一代で鎌倉幕府の権力者に押し上げた人物です。

また、鎌倉幕府内で、御家人を粛清し続けて、果ては将軍まで手にかけたのですが、最終的には自分の息子(北条義時)と娘(北条政子)に追放されて政治生命を断たれるという悲しい最期を迎えています。

必ずしもいい評価を受けているとも言い難いのですが、本稿では、先見の明と大胆な行動力を持つ北条時政の波瀾万丈の人生について見て行きたいと思います。 “【北条時政】鎌倉幕府初代執権となった北条政子の父” の続きを読む

【梶原景時】源義経を死に追いやった御家人

源義経と対立して死に追いやったとして悪役にされがちな梶原景時。

実際は、KYで政治的才能がなかった源義経に振り回されて苦労した人物です。

ならず者集団であった鎌倉武士団の中で、数少ない教養・風流人でもありました。

石橋山の戦いで源頼朝を救って重用され、北条家による他氏排斥運動に巻き込まれて生涯を終えた梶原景時の人生を振り返っていきましょう。 “【梶原景時】源義経を死に追いやった御家人” の続きを読む

【土肥実平】挙兵直後から源頼朝に従った最古参御家人

土肥実平・土肥實平(どひさねひら/どいさねひら)をご存知ですか。

桓武平氏の血筋でありながら、源頼朝の挙兵直後からこれに従って転戦した武将です。

相模土肥氏・小早川氏の祖とされ、数々の武功を挙げた有能な武将なのですが、いまいち知名度がありません。

そこで、本稿では、土肥実平の経歴について簡単に紹介していきたいと思います。 “【土肥実平】挙兵直後から源頼朝に従った最古参御家人” の続きを読む

【北条義時】鎌倉幕府を北条家独裁政権にした2代執権

源氏将軍から権力を奪取し、鎌倉幕府を北条氏の傀儡政権に仕上げた人物をご存知ですか。

そう、悪名高い北条義時(ほうじょうよしとき)です。強大な権力を手にしたにもかかわらず、残念ながら肖像画が残っていませんので、どのような姿形であったのかを窺い知ることができません。

北条義時は、伊豆国の在地豪族・北条時政の次男として産まれ、源頼朝の側近として政治を学び、父を追放したことにより北条氏の実権を握り、傀儡将軍を立てた上で他氏排斥をし、仲恭天皇を廃し・3人の上皇を配流にまでして2代執権として実質上の北条氏独裁政権とし、鎌倉幕府を実質的な武家政権として完成させた人物です。

権謀術数を駆使してドロドロの権力闘争を生き延びた波乱万丈の人物であり、令和4年(2022年)のNHK大河ドラマの主人公でもあります。 “【北条義時】鎌倉幕府を北条家独裁政権にした2代執権” の続きを読む