【飯盛山城・飯盛城(続日本100名城160番)】天下人・三好長慶の最期の城

飯盛山城(いいもりやまじょう)は、河内国と大和国の国境に位置する飯盛山(現・大阪府大東市及び四條畷市)に築かれた山城です。

正式な名称は飯盛城なのですが、飯盛城という名の城は他県にも存在してややこしいので、本稿では有名な別称である飯盛山城で統一します。

名前の由来は、城の北側が椀に盛った飯のようななだらかな山容であることにちなみます。もっとも、実際には深い谷や峻険な断崖で守られた天然の要害となっており、名前のような穏やかさはありません。

織田信長に先立つ天下人・三好長慶の最期を迎えた城でもあります。 “【飯盛山城・飯盛城(続日本100名城160番)】天下人・三好長慶の最期の城” の続きを読む

【交野城(私部城)】織田信長と松永久秀の戦いに翻弄された河内国の土の城

交野城(かたのじょう)をご存知ですか。別名私部城(きさべじょう)とも言います。

近くに住んでいなければそもそも読めない難読地名である上、歴史好きでもほとんど知られていない超マニアックな城です。

歴史に埋もれてしまっていますが、戦国時代には東高野街道・山根街道に接する河内国の玄関口を牛耳った平城です。

本稿では、そんな重要ながらマイナーな城、交野城について紹介します。

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【武田信虎】甲斐国を統一した武田信玄の父

甲斐国を統一し、甲府を建設した人物をご存知ですか。

武田信玄の父・甲斐武田宗家18代の武田信虎です。

武田信玄に追放された悲しい戦国大名というイメージが先行していますが、国をまとめ、都市を造り、優秀な人材を登用し、他国を攻略していくという偉業をなし、戦国最強武田家の礎を築いたを人物です。もっと評価されていい武将です。

本稿は、そんな武田信虎について見ていきたいと思います。 “【武田信虎】甲斐国を統一した武田信玄の父” の続きを読む

【二股口の戦い】土方歳三の軍略が冴え渡った旧幕府軍のゲリラ戦

二股口の戦いは、渡島国亀田郡大野村(現在の北海道北斗市中山峠)で発生した、函館への進軍を目論む明治新政府軍と、これを阻止しようとする旧幕府軍との間で起こった2週間に亘る戦いです。

新撰組鬼の副長・土方歳三が、台場山に胸壁と陣地を構築してゲリラ戦を行い、兵数も装備も大きく劣る状況下で新政府軍を撃退したことでも有名です。

本稿では、この二股口の戦いについて、その発生の背景から順に見ていきたいと思います。 “【二股口の戦い】土方歳三の軍略が冴え渡った旧幕府軍のゲリラ戦” の続きを読む

【芥川山城(続日本100名城159番)】最初の天下人三好長慶の居城

芥川山城は、大阪府高槻市内の三島平野の最奥部にある三好山の山頂部東西・南北約450mに広がる中世の山城です。

畿内をほぼ制圧した最初の天下人・三好長慶が、京にほど近く淀川水系を押さえることができる交通の要衝として選んだ場所にあります。

山中に建てられていたこともあって宅地開発による破壊から免れていることから遺構の保存状態も比較的良好で、すぐ西側には摂津峡がありファミリーで遊ぶついでにアクセスするにもうってつけです。

なお、当時の呼称は「芥川城」なのですが、近くに同じ名である芥川城が存在することから混同を避けるために芥川山城と呼ばれることが一般的であるため、本稿においても芥川山城と標記します。 “【芥川山城(続日本100名城159番)】最初の天下人三好長慶の居城” の続きを読む

【江藤新平】政争に敗れ佐賀の乱で死刑となった日本近代司法制度の祖

日本の近代司法制度の生みの親が誰かご存知ですか。

維新の十傑とも言われ、日本の近代司法制度を作り上げるという偉大な功績を残したにもかかわらず、意外に知名度の低い人物・江藤新平です。

知っている方は、日本史通の方か法曹関係者の方ではないでしょうか。

知名度の低さは、逆賊の汚名を着せられて処刑されたこともその原因となっています。

本稿では、そんなマイナーな偉人・江藤新平の生涯について見ていきたいと思います。 “【江藤新平】政争に敗れ佐賀の乱で死刑となった日本近代司法制度の祖” の続きを読む

【小谷城の戦い】浅井長政が切腹し浅井氏が滅亡した戦い

小谷城の戦いは、北近江の覇者となった浅井家が、織田信長に敗れて滅びた戦いです。

徐々に追い詰められていく浅井家を見ていくと滅びの悲しさが見てとれます。

本稿では、そんな浅井家の滅びの戦いについて見て行きましょう。 “【小谷城の戦い】浅井長政が切腹し浅井氏が滅亡した戦い” の続きを読む

【室町幕府の成立】1336年の建武式目制定により成立した足利尊氏政権

後醍醐天皇と袂を分かった足利尊氏は、九州で再起を果たし、京を目指して進軍していきます。

なお、建武の新政の成立及び足利尊氏と建武政権の対立(建武政権が勝っていた序盤戦足利尊氏が逆転した終盤戦)については、別稿をご参照ください。

京に攻め上った足利尊氏は、後醍醐天皇を追い払った上で光明天皇を擁立し、その下で室町幕府を開きます。

本稿では、この足利尊氏入京から室町幕府の成立について見ていきましょう。 “【室町幕府の成立】1336年の建武式目制定により成立した足利尊氏政権” の続きを読む

【井伊直政】外様大名ながら徳川四天王に上り詰めた出世頭

外様大名でありながら、徳川家臣団の中で最大知行を得るまで出生した井伊直政。

幼くして父の謀反の疑いに連座して殺されかけ、家臣団の取り計らいによって徳川家康に仕え、その後の武功・政治力により最終的に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主となり30万石の基礎を築いた大人物です。

井伊の赤鬼という渾名で知っている人が多いかもしれません。

本稿では、そんな波乱万丈だった井伊直政の人生について見ていきたいと思います。 “【井伊直政】外様大名ながら徳川四天王に上り詰めた出世頭” の続きを読む

【第2次鳥取城の戦い(鳥取城の飢え殺し)】カニバリズムに至った豊臣秀吉の兵糧攻め

鳥取城の飢え殺し(とっとりじょうのかつえころし)と言われる凄惨な兵糧攻めをご存知ですか。

攻城戦の名人として名高い豊臣秀吉(この頃は羽柴秀吉)の城攻めの中でも1、2を争う残酷な戦いです。

綺麗事ではいかない戦争の怖さが集約された戦いとも言えます。

本稿では、地獄絵図となった第2次鳥取城の戦いについて見て行きましょう。 “【第2次鳥取城の戦い(鳥取城の飢え殺し)】カニバリズムに至った豊臣秀吉の兵糧攻め” の続きを読む