【奥州の南北朝の戦い・初期編】鎮守府将軍北畠顕家vs奥州総大将斯波家長

室町時代の初期頃に60年もの長きに及ぶ内乱期となったことで有名な南北朝時代ですが、その争いは中央(京や吉野付近)だけで起こっていたわけではありません。

中央で起こった朝廷の分裂は全国に伝播し、全国各地の諸勢力が南朝側と北朝側とに分かれて紛争が頻発するようになりました。

この南北朝の争いは、東北地方でも起きており、初期の段階では鎮守府将軍北畠顕家vs奥州総大将斯波家長という構図で繰り広げられていきます。

本稿では、東北地方で起きた南北朝の初期の争いについて見て行きたいと思います。 “【奥州の南北朝の戦い・初期編】鎮守府将軍北畠顕家vs奥州総大将斯波家長” の続きを読む

【中先代の乱】足利尊氏が建武政権から離反するきっかけとなった戦い

中先代の乱(なかせんだいのらん)は、鎌倉幕府滅亡に際して死亡した第14代執権・北条高時の遺児である北条時行が、御内人の諏訪頼重らに擁立され、鎌倉幕府再興のため挙兵した反乱です。

先代(北条氏)と後代(足利氏)との間にあって、一時的に鎌倉を支配したことから中先代の乱と呼ばれています。

中先代の乱は、建武の新政の崩壊、南北朝時代の始まり、足利尊氏による室町幕府成立などのきっかけとなった極めて歴史的意義の大きな戦いです。 “【中先代の乱】足利尊氏が建武政権から離反するきっかけとなった戦い” の続きを読む

【青野原の戦い】北畠顕家の運命を変えた南北朝時代の関ヶ原

青野原の戦い(あおのがはらのたたかい)は、南北朝時代の延元3年/暦応元年(1338年)1月28日から1月29日にかけて、美濃国・青野原で発生した、南朝方の北畠顕家軍と、北朝方(足利尊氏方)の土岐頼遠らとの戦いです。

後に、天下分け目の関ヶ原の戦いが行われたのと同じ場所で行われた、南北朝時代の決戦です。

なんとかこの戦いに勝利した南朝方の貴公子・北畠顕家でしたが、被った損害も大きく、その後の敗死に繋がってしまう重要な戦いでした。

以下、南北朝時代の関ヶ原とも言える青野原の戦いについて、その発生原因から見ていきましょう。 “【青野原の戦い】北畠顕家の運命を変えた南北朝時代の関ヶ原” の続きを読む

【石橋山の戦い】挙兵直後の源頼朝が大敗した戦い

石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)は、以仁王の令旨を奉じて平家打倒のために立ち上がり、伊豆目代の山木兼隆を討ち取って勢いに乗るはずだった源頼朝が、平家方の大軍に大敗した戦いです。

治承・寿永の乱と呼ばれる諸戦役の1つで、源頼朝の命が風前の灯火となった戦いでもあります。

以下、挙兵直後の苦しい時期の源頼朝の大敗北について見ていきましょう。 “【石橋山の戦い】挙兵直後の源頼朝が大敗した戦い” の続きを読む

【土肥実平】挙兵直後から源頼朝に従った最古参御家人

土肥実平・土肥實平(どひさねひら/どいさねひら)をご存知ですか。

桓武平氏の血筋でありながら、源頼朝の挙兵直後からこれに従って転戦した武将です。

相模土肥氏・小早川氏の祖とされ、数々の武功を挙げた有能な武将なのですが、いまいち知名度がありません。

そこで、本稿では、土肥実平の経歴について簡単に紹介していきたいと思います。 “【土肥実平】挙兵直後から源頼朝に従った最古参御家人” の続きを読む

【築山殿(瀬名姫)】悲劇の死を遂げた徳川家康の最初の正室

築山殿(築山殿)は、東照大権現・徳川家康の最初の正室であり、瀬名姫(せなひめ)とも言われています。

今川家の重臣の家に生まれて嫡男・松平信康を生みながら、謀反の疑いによって徳川家康の命により殺害されるという悲しい最期を遂げた人物でもあります。

この築山殿殺害事件は、余りにも有名な歴史的事件でありながらその詳細は実はよくわかっておらず、かつては織田信長の命令によるものであったとするのが一般的だったのですが現在では疑問を呈されており、謎多き事件と言えます。

本稿では、これらの前提を踏まえつつ、瀬名姫の人生を振り返っていきたいと思います。 “【築山殿(瀬名姫)】悲劇の死を遂げた徳川家康の最初の正室” の続きを読む

【武田信玄の松本平侵攻】信濃守護小笠原家が滅亡した戦い

諏訪、上伊那、佐久を次々に攻略し、順調に信濃国を侵食していた武田信玄ですが、上田原の戦いで村上義清に大敗して信濃国衆の信頼を失って信濃侵攻作戦を中座させられます。

そればかりか、占領地で反乱が起き、また他国からの侵略を受けるなど、厳しい立場に追い込まれていきます。

そんな中、武田信玄は、小笠原長時を破って、失地を回復し、さらには松本平を手に入れるという逆転劇をやってのけます。

なお、本稿がどの段階の話であるについては、別稿【武田信玄の領土拡大の軌跡】をご参照ください。

“【武田信玄の松本平侵攻】信濃守護小笠原家が滅亡した戦い” の続きを読む

【今井兼平】壮絶な最期を遂げた木曾義仲四天王

今井兼平(いまいかねひら)は、木曾義仲(源義仲)の乳母子として育ち、木曾義仲の上洛に力を尽くした義仲四天王の一人です。

死の間際まで木曾義仲に添い遂げ、壮絶な最期を遂げたことでも有名です。

本稿では、そんな忠義の猛将、今井兼平について見ていきましょう。 “【今井兼平】壮絶な最期を遂げた木曾義仲四天王” の続きを読む

【山木兼隆(平兼隆)】挙兵した源頼朝の最初の餌食となった伊豆国目代

山木兼隆(やまきかねたか)は、伊豆国に流されていた源頼朝が、平家打倒の兵を挙げた際に武名を挙げるための最初のターゲットとされて討ち取られた人物です。

平家一門であったために元々は平兼隆と名乗っていたのですが、罪を負って伊豆国山木郷に流されたために、後に山木兼隆を名乗っています。

人となりを知る詳しい資料があまり残っていないため、詳しい経緯は謎ですが、武家政権を確立したカリスマの初戦の相手ですので、知っておいて損はない人物でもあります。 “【山木兼隆(平兼隆)】挙兵した源頼朝の最初の餌食となった伊豆国目代” の続きを読む

【北条義時】鎌倉幕府を北条家独裁政権にした2代執権

源氏将軍から権力を奪取し、鎌倉幕府を北条氏の傀儡政権に仕上げた人物をご存知ですか。

そう、悪名高い北条義時(ほうじょうよしとき)です。強大な権力を手にしたにもかかわらず、残念ながら肖像画が残っていませんので、どのような姿形であったのかを窺い知ることができません。

北条義時は、伊豆国の在地豪族・北条時政の次男として産まれ、源頼朝の側近として政治を学び、父を追放したことにより北条氏の実権を握り、傀儡将軍を立てた上で他氏排斥をし、仲恭天皇を廃し・3人の上皇を配流にまでして2代執権として実質上の北条氏独裁政権とし、鎌倉幕府を実質的な武家政権として完成させた人物です。

権謀術数を駆使してドロドロの権力闘争を生き延びた波乱万丈の人物であり、令和4年(2022年)のNHK大河ドラマの主人公でもあります。 “【北条義時】鎌倉幕府を北条家独裁政権にした2代執権” の続きを読む