【第一次信長包囲網】織田信長の畿内制圧と信長包囲網に至る経緯

足利義昭を奉じて上洛し、畿内の実権を握った織田信長。

もっとも、その後の織田信長は抵抗勢力との果てしない戦いを繰り広げることとなります。

本稿では、信長の上洛と、その後の第一次信長包囲網に至るまでの経緯について簡単に紹介したいと思います。 “【第一次信長包囲網】織田信長の畿内制圧と信長包囲網に至る経緯” の続きを読む

【方広寺鐘銘事件】豊臣家滅亡のきっかけは徳川家康の言いがかりか?豊臣秀頼の落ち度か?

豊臣家滅亡のきっかけとなったことで有名な方広寺の鐘。

現存しているため、見たことがある方も多いのではないでしょうか。少なくとも、誰もが学校の教科書で一度は目にしていると思われます。

本稿では、歴史を変えた方広寺銘鐘事件(読み方:ほうこうじしょうめいじけん)について、観光の際に知っておくと楽しいと思われる範囲でその経緯をわかりやすく説明します。 “【方広寺鐘銘事件】豊臣家滅亡のきっかけは徳川家康の言いがかりか?豊臣秀頼の落ち度か?” の続きを読む

【松永久秀】三好長慶を天下人に押し上げた戦国三大梟雄(?)の1人

戦国時代のもっともインパクトのある死に方をした武将と言えば誰を思い浮かべますか。
将軍を暗殺し東大寺を焼き討ちした極悪人という話でも有名な松永久秀ではないですか。
今日では、研究が進み、これらのエピソードは真実ではないことがわかっています。
そこで、先入観が先行していて、実は実体がよく知られていない松永久秀について見ていきましょう。 “【松永久秀】三好長慶を天下人に押し上げた戦国三大梟雄(?)の1人” の続きを読む

【金閣寺】観光前に一読するとより楽しめる世界遺産・金閣寺の歴史概略

金閣寺は、臨済宗相国寺派の禅寺で正式には北山鹿苑禪寺(鹿苑寺)といい、本尊は、観音菩薩(方丈本尊)です。

寺内にある内外に金箔を貼った3層の楼閣建築である舎利殿を金閣といい、この舎利殿があまりにも有名なため、これを含めた寺院全体が別称として金閣寺と呼ばれています。 “【金閣寺】観光前に一読するとより楽しめる世界遺産・金閣寺の歴史概略” の続きを読む

【本多忠勝】生涯57回の合戦で傷1つ負わなかった剛の者

歴史好きが戦国最強の武将を挙げる場合に名が多く挙がる本多忠勝。

徳川家康に従って大小57回もの戦に参戦し、一度も傷を負わなかったという化け物です。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などからもその武勇が称賛され、特に、徳川家にとっては、徳川家康の命を数多く救ってきたこともあり徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑などにも名が挙がる江戸幕府成立の最大の功労者とも言えます。

本稿では、そんな本多忠勝の生涯について見ていきましょう。 “【本多忠勝】生涯57回の合戦で傷1つ負わなかった剛の者” の続きを読む

【馬場信春】不死身の鬼美濃の生涯と壮絶な最期

40年以上に亘って武田3代に仕え、70回を越える戦を常に最前線で戦ったにもかかわらず、命を落とすことになった長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかった「不死身の鬼美濃」馬場信春(何度か名が変わっていますが、本稿では馬場信春で統一します。)。

一国の太守になれる器量人であるとまで評される大器であったとも言われます。

そして、死際までカッコいい。シビれます。 “【馬場信春】不死身の鬼美濃の生涯と壮絶な最期” の続きを読む

【長篠・設楽原の戦い】なぜ武田勝頼は織田信長の鉄砲隊に挑んだのか

武田信玄の後を継いだ武田勝頼が織田信長の鉄砲隊に敗れたことで有名な「長篠の戦い」ですが、本当の決戦は設楽原で行われています。そのため、この決戦は一般には「長篠・設楽原の戦い」(読み方は,「ながしのしたらがはらのたたかい」)です。

戦力・装備に大きく劣るにもかかわらず無謀な突撃を繰り返した武田騎馬隊が,馬防柵の後ろから繰り返し撃ってくる鉄砲に一方的にやられまくった合戦というイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。

実際には、そういう戦いではありません。

以下,長篠設楽原の戦いについて、そこに至る経緯から、合戦の結果まで順を追って説明します。 “【長篠・設楽原の戦い】なぜ武田勝頼は織田信長の鉄砲隊に挑んだのか” の続きを読む

【足利義教】織田信長を超える魔王・万人恐怖政治をした室町6代将軍

室町幕府の将軍に織田信長を超える魔王がいたことをご存知ですか。

6代将軍・足利義教です。

高い能力を発揮して室町幕府の権威を取り戻したという成果がある反面、権力を集めてやりたい放題やりまくって万人恐怖政治と恐れられた暴君でもあります。

本稿では、そんなやりたい放題将軍、足利義教の生涯について見ていきましょう。 “【足利義教】織田信長を超える魔王・万人恐怖政治をした室町6代将軍” の続きを読む

【賤ヶ岳七本槍】賤ヶ岳の戦いで活躍して出世した7人というのは本当か?

「賤ヶ岳七本槍」を知っていいますか。

織田信長が死亡した後、その実質上の後継者の座を巡って、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉と名乗っていましたが、本稿では豊臣秀吉で統一します。)と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦いにおいて、比類なき戦功を挙げたとされる豊臣秀吉子飼いの武将7人のことです。

この賤ヶ岳七本槍は名前こそ有名なのですが、なぜこんなに有名となったのかについては、はっきりしていないことも多くあります。

本稿では、賤ヶ岳の戦いの概略と賤ヶ岳七本槍の活躍(?)について解説していきます。 “【賤ヶ岳七本槍】賤ヶ岳の戦いで活躍して出世した7人というのは本当か?” の続きを読む