【石清水八幡宮】京の裏鬼門を守る国家第二の宗廟の歴史

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、現在の男山山頂(京都府八幡市八幡高坊30)に位置する八幡大神(誉田別命=応神天皇・比咩大神=宗像三女神・息長帯姫命=神功皇后)を祀る神社です。

かつては八幡宮寺とも言われて神仏習合の霊地とされ、伊勢神宮(天照大神)に次ぐ国家第二の宗廟とされていました。

第56代天皇である清和天皇の健康を祈願して平安京の裏鬼門(南西)の方角に創建された神社であるために清和天皇の子孫(清和源氏)の氏神となったのですが、後に清和源氏(源頼朝・足利尊氏)が武士になって武家政権を開くなど隆盛を極めるに至ったことから、信仰対象となっていた石清水八幡宮が武神として扱われるようになりました。

男山山頂から山麓に至る一帯が境内となっているところ、宇治川・桂川・木津川の合流点近くにあり、淀川を挟んで山崎天王山と相対するという交通・軍事の要衝地にあったため、実質的な意味でも京防衛の拠点と位置付けられました。 “【石清水八幡宮】京の裏鬼門を守る国家第二の宗廟の歴史” の続きを読む

【国分寺・国分尼寺】国家鎮護寺院の歴史とその一覧

国分寺は、天平13年(741年)、仏教による国家鎮護のため、ときの天皇であった聖武天皇の命(国分寺建立の詔)により当時の日本の各国に建立された寺院です。

国分寺建立の詔に基づいていますが、広義では、国分寺(僧寺・金光明四天王護国之寺)のみならず、国分尼寺(尼寺・法華滅罪之寺)も含まれます。

本稿では、国分寺・国分尼寺が建立されるに至った経緯、その一覧、現状について簡単に説明したいと思います。 “【国分寺・国分尼寺】国家鎮護寺院の歴史とその一覧” の続きを読む

【本願寺の歴史】成立から東本願寺と西本願寺に分かれるまでの経緯

本願寺は、親鸞が開いた鎌倉仏教の1つである浄土真宗(ただし、浄土真宗の宗旨名が用いられるようになったのは親鸞没後)の寺院です。

日本最大の信者を持つ仏教宗派の中心寺院なのですが、元々は貧乏寺院であった上、建立しては破却されるという苦難を経て京都に辿り着いた歴史があります。

また、ようやく京都に辿り着いた後も、豊臣・徳川の争いに巻き込まれて東西に分裂し現在に至っています。

本稿では、現在に至る本願寺の歴史について簡単に説明していきたいと思います。

なお、当ブログは歴史ブログであり、また筆者は宗教家ではないため、教義や作法など宗教的な内容はわかりませんので、その旨ご了承下さい。 “【本願寺の歴史】成立から東本願寺と西本願寺に分かれるまでの経緯” の続きを読む

【智積院】京都東山にある根来寺

智積院(ちしゃくいん)は、現在の京都市東山区にある真言宗智山派の総本山の寺院です。

開山は玄宥僧正、山号は五百佛山(いおぶさん)、寺号は根来寺(ねごろじ)となっています。

京都の東山にある寺院であるにもかかわらず、根来寺という和歌山県岩出市にある新義真言宗総本山寺院の寺号が付されているのには悲しい歴史的沿革があります。

本稿では、智積院観光が楽しめるよう、京都東山に建てられて真言宗智山派の総本山にまでなった歴史を踏まえ、智積院について簡単に解説していきたいと思います。 “【智積院】京都東山にある根来寺” の続きを読む

【日本三大仏】鎌倉東大寺大仏・鎌倉高徳院大仏+α

日本に点在する寺院には当たり前のように仏像が祀られているのですが、その中にはとてつもなく大きな仏像が祀られている寺院もあります。

このとてつもなく大きな仏像を、略して大仏と呼んでいます。

古来より「三大・・」が好きな日本人は、大仏についても日本三大仏と称してランク付けをしてきました。

この日本三大仏については、その概念が出来上がったとされる江戸時代の時点では、すでに奈良大仏と鎌倉大仏が存在していましたので、これらが三大仏に含まれることに異論はありません。

もっとも、最後の3尊目の大仏については定説がなく、その候補がいくつも存在します。

また、時代ごとにその変遷も見られます。

本稿では、日本三大仏について、その時代的変遷を踏まえて簡単に紹介していきたいと思います。 “【日本三大仏】鎌倉東大寺大仏・鎌倉高徳院大仏+α” の続きを読む

【日本三大三門】南禅寺三門・知恩院三門・久遠寺三門について

伝統的な日本の仏教寺院には山門と呼ばれる門が設置されていることが一般的であり、その山門のうち、当該寺院の正門に配された中央の大きな門と左右の小さな門との3門を連ねて1門としたものを「三門」といいます。特に、禅宗寺院に多く見られる建築物です。

このうち、南禅寺・知恩院・久遠寺は日本三大三門と呼ばれており、考えられない巨大さで見る者を圧倒するスケール感があり、これを見るためだけに観光として訪れる価値があるのではないかと考えられます。

この他にも、京都三大三門と呼ばれる区分けがあったり、それらに含まれてはいないものの、同等クラスの歴史ある巨大な三門が全国各地に点在したりしてますので、本稿では、これらの三門についてもあわせて簡単に紹介していきたいと思います。 “【日本三大三門】南禅寺三門・知恩院三門・久遠寺三門について” の続きを読む

【建武中興十五社】建武政権に尽力した皇族・武将を主祭神とする15神社

建武中興十五社(けんむちゅうこうじゅうごしゃ)は、建武中興(建武政権樹立・維持)に尽力した皇族・武将を主祭神とする15社の神社です。

建武中興十五社は、明治維新を成功させた明治新政府が、かつて鎌倉幕府を倒して天皇親政を開始した建武政権を持ち上げることにより、国民に明治天皇(明治新政府)への忠義を植え付けようとして整備されました。 “【建武中興十五社】建武政権に尽力した皇族・武将を主祭神とする15神社” の続きを読む

【金戒光明寺】法然が開き江戸幕府が城塞化した浄土宗大本山

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、浄土宗開祖である法然が比叡山延暦寺を下り最初に庵を結んだ場所に開かれた浄土宗の大本山寺院です。

比叡山を下りて石に腰かけた際に紫の雲が立ち上って大空を覆い光明が差したという逸話から山号を紫雲山、寺号を光明寺(後に光厳天皇から金戒の二字を賜ったことにより金戒光明寺)といいます。

浄土宗始まりの地として重要な寺であり、浄土宗の七大本山の1つ、かつ京都四箇本山(他に知恩院、百万遍知恩寺、清浄華院)の1つに数えられています。

以上のとおり、浄土宗の始まりの地として重要な寺ではあるのですが、その後、江戸幕府によって要塞化され、幕末期に京都守護職が置かれた場所としても有名です。

そのため、金戒光明寺は、創建された鎌倉期、要塞に改造された江戸時代初期、京都守護職が置かれた幕末期にちなんだ時代の異なる歴史が混在する寺ですので、これらの時代背景を意識して観光いただければより一層楽しめると思います。

本稿では、金戒光明寺について、この時代背景に意識しつつ簡単に説明していきたいと思います。 “【金戒光明寺】法然が開き江戸幕府が城塞化した浄土宗大本山” の続きを読む

【南禅寺が五山之上という別格扱いにされている理由】

南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山であり、臨済宗寺院である京都五山・鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院として日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つとされています。

もっとも、南禅寺が五山之上という別格扱いにされた理由は、宗教的な理由ではなく、後醍醐天皇の政治的思惑と足利義満のわがままによるものです。

本稿では、南禅寺が五山之上に位置することに至った経緯・理由について簡単に説明します。 “【南禅寺が五山之上という別格扱いにされている理由】” の続きを読む

【東寺】空海によって真言宗の根本道場に造り変えられた平安京の官立寺院

東寺(とうじ)は、平安京入口東側に創建された平安京鎮護のための官立寺院であり、その後に空海に下賜されたことから真言宗の総本山・根本道場となった寺院でもあります。教王護国寺ともいわれます。

後白河法皇の皇女であった宣陽門院が東寺に莫大な荘園を寄進することによりその財政基盤をつくったこと、弘法大師信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになったことなどから栄えていきました。

現在においてなお創建当時の寺域を維持し、数々の国宝・重要文化財を有する京都の代表的な名所として存続しています。

本稿では、東寺観光をより有意義なものとするため、東寺の歴史、伽藍配置、観光モデルコースなどについて紹介します。 “【東寺】空海によって真言宗の根本道場に造り変えられた平安京の官立寺院” の続きを読む