今川義元(いまがわよしもと)と聞いてどんなイメージが浮かびますか。
大大名今川家の第11代当主でありながら、桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られたという最期から、今日においては、公家のようにお歯黒をつけて置眉・薄化粧をしている貴族趣味に溺れたとか、合戦の際に輿に乗っていたことをもって騎馬に乗れなかったなどというダメなイメージがつけられているようです。
もっとも、実際の今川義元は、堅実な領国経営・合理的な軍制改革・巧みな政治手腕などによって、父・今川氏親からの領土拡大政策を引き継ぎ、最終的には駿河国・遠江国・三河国を治めるに至ったという今川家の最盛期を築き上げた武将です。
当時から「海道一の弓取り」として高く評価されており、全くダメなイメージもありません。
本稿では、不当なイメージをつけて貶められることの多い今川義元の実際について見ていきたいと思います。 “【今川義元】今川家の全盛期を築いた海道一の弓取り” の続きを読む