松平信康(まつだいらのぶやす)は、徳川家康の嫡男であり、本来であれば徳川家康の後を継いで江戸幕府第2代将軍となってしかるべき人物です。
父親譲りの軍才を発揮して数々の戦いで武功を挙げるなど能力も申し分ありませんでした。
ところが、天正7年(1579年)8月3日に居城であった岡崎城から追放された後、同年9月15日には徳川家康の命により21歳の若さで切腹して果てるに至っています。
徳川家の後を継ぐはずだった嫡男の切腹については、その理由が必ずしも明らかとなっていませんので現在まで喧々諤々様々な説が唱えられています。
本稿では、明らかとなっている事実を前提としつつ悲劇のプリンスである松平信康の人生について振り返っていきたいと思います。 “【松平信康】父の命令により切腹して果てた徳川家康の嫡男” の続きを読む