日本の歴史上、武家政権の長としての官職・肩書は征夷大将軍であるとの認識が一般的です。
室町幕府でも江戸幕府でもこの認識は変わりません。
もっとも、初期の鎌倉幕府では違います。鎌倉幕府の長の肩書は、「鎌倉殿」であり、征夷大将軍ではありません。
征夷大将軍とは、律令制の令外官として存在した「夷」を「征」服する「大将軍」をいうため、東北遠征軍の軍事指揮官に過ぎず武家政権や幕府の長などという意味はないからです。
後に征夷大将軍が武家政権の長の代名詞となったのは、鎌倉幕府の初代トップ(鎌倉殿)であった源頼朝が就任しその力を絶対化させたからです。
本稿では、源頼朝が、後に武家政権の長の代名詞となった征夷大将軍に就任するに至った経緯とその意味について説明していきたいと思います。 “【源頼朝の征夷大将軍就任】権威があれば何でも良かった初代鎌倉殿の肩書” の続きを読む