【日本三大土塀】太閤塀・信長塀・大練塀

日本三大土塀とは、日本全国に点在する土塀の中で、歴史のある3つの土塀をいいます。

誰が・いつ・どういう根拠で定めたのかは不明ですが、古来より「三大・・」が好きな日本人は土塀についてもランク付けをしており、太閤塀・信長塀・大練塀が日本三大土塀とされるのが一般的ですので、それぞれ簡単に紹介したいと思います。 “【日本三大土塀】太閤塀・信長塀・大練塀” の続きを読む

【日本三大石鳥居】日光東照宮一之鳥居・八坂神社旧三之鳥居・鶴岡八幡宮一之鳥居

日本三大石鳥居とは、日本全国に点在する石造鳥居の中で、さらに歴史のある大きな3つの鳥居をいいます。

古来より「三大・・」が好きな日本人は、平和になって庶民が旅行をする余裕が出来始めた江戸時代になると、石鳥居についても日本三大石鳥居と称してランク付けをしてきました。

誰がどういう根拠で定めたのかは知りませんが、日光東照宮・一之鳥居、八坂神社・旧三之鳥居、鶴岡八幡宮・一之鳥居が日本三大石鳥居とされるのが一般的ですので、それぞれ簡単に説明したいと思います。

なお、いずれもあまりにも大きな鳥居であるため、その柱に切れ目があり、二つの石をつなぎ合わせて造られています。 “【日本三大石鳥居】日光東照宮一之鳥居・八坂神社旧三之鳥居・鶴岡八幡宮一之鳥居” の続きを読む

【現存12三重櫓】江戸時代から残る8城12基の三重櫓について

これまでに日本国内に2万とも3万とも言われる城が築かれました。

そのうち、現在、城址としてその名残が残っているのは僅かであり、さらに一般人が見学して楽しめるのは数百城程度しかありません。

また、このうち、江戸時代以前に建てられた三重櫓が現存しているのは、僅か8城12基しかなくとても貴重です。

本稿では、この現存する貴重な12の三重櫓について簡単に紹介していきたいと思います。 “【現存12三重櫓】江戸時代から残る8城12基の三重櫓について” の続きを読む

【日本三大仏】鎌倉東大寺大仏・鎌倉高徳院大仏+α

日本に点在する寺院には当たり前のように仏像が祀られているのですが、その中にはとてつもなく大きな仏像が祀られている寺院もあります。

このとてつもなく大きな仏像を、略して大仏と呼んでいます。

古来より「三大・・」が好きな日本人は、大仏についても日本三大仏と称してランク付けをしてきました。

この日本三大仏については、その概念が出来上がったとされる江戸時代の時点では、すでに奈良大仏と鎌倉大仏が存在していましたので、これらが三大仏に含まれることに異論はありません。

もっとも、最後の3尊目の大仏については定説がなく、その候補がいくつも存在します。

また、時代ごとにその変遷も見られます。

本稿では、日本三大仏について、その時代的変遷を踏まえて簡単に紹介していきたいと思います。 “【日本三大仏】鎌倉東大寺大仏・鎌倉高徳院大仏+α” の続きを読む

【天皇陵一覧】宮内庁治定の歴代天皇の葬送地

天皇陵とは、天皇が葬られた場所を言い、その根拠は皇室典範27条に求められます。

皇室典範27条では、天皇・皇后・太皇太后及び皇太后を葬る所を陵というとしていますので(その他の皇族を葬る所は墓とししています。)、陵のうち天皇が葬られた場所を「天皇陵」ということとなるのです。

日本に点在する陵墓の被葬者を特定することを「治定」といい、治定作業は古くは江戸時代(元禄~文久年間)からその当時の学問水準を基にして行われており、今日の水準からすると疑問点の多いものとなっています。

もっとも、これまでに天皇陵として治定されたものは宮内庁の管理下におかれ、発掘調査どころかその立入さえ許さないという制限を受けていますので、その真偽を質すことさえ出来ない状況となっているということを理解した上で本稿をご参照いただければ幸いです。

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【日本の都一覧】天皇の代替わり毎に行われていた遷都の歴史

現在の日本の首都は東京都(正確には東京奠都がなされていますので京都もまた首都であるはずです。)です。

延暦13年(794年)の平安京遷都後は1000年以上も同じ場所に置かれていたためにあまり知られていませんが、それまでは天皇の代替わり毎に(場合によっては同一天皇の代に複数回)に都の場所が移転していたため、歴史的に見ると日本ではこれまで相当数の遷都が行われてきました。

本稿では、日本において遷都が繰り返されてきた理由を説明し、その経緯を一覧化して列挙していきたいと思います。 “【日本の都一覧】天皇の代替わり毎に行われていた遷都の歴史” の続きを読む

【五十七次に延伸された東海道】京街道と大津街道を歩く

五十三次として有名な東海道は整備された当初は江戸の日本橋と京の三条大橋との間を繋ぐ街道だったのですが、江戸時代初期に京から大坂まで延伸されて五十七次となっています。

このとき延伸されたのが伏見までの大津街道と伏見から大坂までの京街道の合計約54kmです(なお、大坂と京を結んだ街道については、京側からは京街道、大坂側からは大坂街道と言われました。)。

一般的には京街道とは京へ向かう街道の総称なのですが、そのなかでも後に東海道として延伸された大津街道及び京街道が特に有名ですので、本稿では、この延伸東海道(京街道・大津街道)についてその概略を説明したいとます。 “【五十七次に延伸された東海道】京街道と大津街道を歩く” の続きを読む

【日本の元号一覧】

元号は、古代中国(漢の武帝時代)から中国で用いられた紀年法の一種です。

この古代中国の元号が日本で独自の進化を遂げ、大化元年7月1日(645年7月29日)に始まった元号制度は、現在においてなお続いています(現在公的に元号の制度を用いている国は日本だけです。)。

以下、日本で用いられた元号について、順に元号名・始期・終期・改元理由について紹介していきたいと思います。 “【日本の元号一覧】” の続きを読む

【東海道五十三次】当時のルート紹介と各宿場町概略

東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は、江戸の日本橋から京の三条大橋まで続く東海道に置かれた53箇所の宿場町です。

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が慶長6年(1601年)に全国支配のために江戸と各地を結ぶ5つの街道を整備し、それぞれの街道上に宿場町を整備していきました。

そして、東海道には当初40宿が整備されたのですが、その後53宿にまで増加されます。

また、その後、元和5年(1619年)、滅亡させた豊臣家が治めていた経済都市・大坂を直轄地とし、大坂と東海道に直結させ、大坂と京を繋ぐ京街道を東海道とした取り込んだ結果、新たな東海道(旧京街道)沿いの伏見、淀、枚方、守口に宿場町を整備したことにより、最終的な東海道の宿場町は57宿となっています。

そのため、東海道五十三次に、京から大坂までの4宿(伏見、淀、枚方、守口)を加え「東海道五十七次」と呼ぶ場合もあるのですが、本稿では、この追加された4宿を除く53宿について、浮世絵なども取り上げつつ簡単に紹介していきたいと思います。 “【東海道五十三次】当時のルート紹介と各宿場町概略” の続きを読む

【歴代天皇一覧】

天皇(てんのう)は、 倭と呼ばれた古代以来の日本において、男系の血統を受け継ぐ君主の称号です。

元々は「大王」と呼ばれていたのですが、7世紀頃に中国王朝への朝貢・冊封体制から脱却するために王の称号を廃して称されることとなり現在に至ります。

奈良時代までは天皇となることを即位(=践祚)と言っていたのですが、桓武天皇が即位に際し受禅の後に日を隔てて即位の儀を行ったことからこれが先例となり、先帝から行為を引き継ぐことを践祚(譲位による践祚を受禅践祚・先帝崩御による践祚を諒闇践祚と言います。)、皇位を引き継いだことを諸神や皇祖に告げた上で天下万民に宣する儀式を即位と言うようになりました。

そのため、天皇の在位期間は践祚に始まることとなります。

他方、現在の皇室典範は、践祚と即位を同一のものとしており、即位の礼は即位(従前の践祚に相当)直後ではなく1年以上後に行うこととされています。

また、現在の皇室典範では譲位及び受禅践祚が制度化されておらず、践祚は今上天皇崩御時の諒闇践祚に限られています(第125代天皇による譲位の際には、受禅践祚をするために特例法が制定されています。)。

世界では、これまでに多くの文明が誕生しては滅んでいき、アメリカの国際政治学者であったサミュエル・ハンチントンによると、世界で生き残った文明は欧米文明・イスラム文明・中国文明・インド文明・日本文明の5つだけであると述べられています。

このように古くから歴史に名を残す日本文明の中心にあったのが歴代の天皇であり、以下、初代天皇とされる神武天皇から順に簡単に紹介していきたいと思います。

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