【公暁】源実朝を暗殺した源頼家の次男

公暁(こうぎょう/こうきょう )は、第2代鎌倉殿の次男かつ嫡男として生まれ、順当に行けば第3代鎌倉殿として鎌倉幕府を統べるはずの立場にあったはずの人物です。

ところが、有力御家人間の政争に巻き込まれて若くして父・源頼家が謀殺されると、北条家の邪魔になったとして出家させられ、本来の仇であるはずの北条家ではなくその傀儡であった源実朝への恨みを募らせていきます。

そして、仇討ちの機会を得た公暁は、満を持して源実朝暗殺を実行したのですが、その責めを負って討ち取られ、20歳という若さでその生涯を終えています。 “【公暁】源実朝を暗殺した源頼家の次男” の続きを読む

【竹御所】第2代尼将軍と言われた源頼家の長女

竹御所(たけのごしょ)は、第2代鎌倉殿であった源頼家の長女です。

北条家による鎌倉幕府乗っ取り行為により、父・兄弟を次々と殺された悲しい女性です。

親族が失われていったため、祖母の北条政子に育てられ、その器量と血筋から、北条政子亡き後を継いで第2代尼将軍とまで言われた才女でもあります。

源氏の血統を絶やさないようにするために超高齢出産に挑み、最期は力尽きて激動の生涯を終えています。

本稿では、そんな波瀾万丈の人生を送った竹御所の生涯を見ていきたいと思います。 “【竹御所】第2代尼将軍と言われた源頼家の長女” の続きを読む

【中川清秀】茨木城12万石の戦国武将

中川清秀(なかがわきよひで)は、摂津国の小豪族からその武勇によって中川家を12万石の大名に押し上げた戦国武将です。

勇猛で知られた中川清秀は、鬼瀬兵衛と呼ばれて恐れられ、織田信長や羽柴秀吉からも重宝されています。

池田勝正・荒木村重・織田信長・羽柴秀吉など、次々と主君を変えながらその腕で立身出世を果たし、また本能寺の変の直後には明智光秀の誘いを断って羽柴秀吉に与するなど、機を見る目も秀逸です。

そんな猛将・中川清秀も、賤ヶ岳の戦いにおいて、さらなる猛将・佐久間盛政の手に掛かって討ち死にするという最期を迎えています。

本稿では、そんな波乱万丈の人生を生きた中川清秀の人生を振り返っていきたいと思います。 “【中川清秀】茨木城12万石の戦国武将” の続きを読む

【岡田以蔵】武市半平太に従って天誅を繰り返した幕末四大人斬りの1人「人斬り以蔵」

岡田以蔵(おかだいぞう)は、天誅と称して幕末の京で幕府方の要人を斬りまくった土佐藩郷士です。

武市瑞山(半平太)の命に従い、多くの暗殺を行ったことから、同時期には「天誅の名人」と呼ばれ、後世では「人斬り以蔵」と称されて「幕末の四大人斬り」の1人にも数えられています。

もっとも、最後には兄貴分と慕う武市半平太に見捨てられ、同志たちにも軽蔑されながら斬首刑に処せられるという悲しい生涯を終えた人物でもあります。

本稿では、そんな悲しき人斬り・岡田以蔵の生涯について見ていきたいと思います。 “【岡田以蔵】武市半平太に従って天誅を繰り返した幕末四大人斬りの1人「人斬り以蔵」” の続きを読む

【佐久間象山】吉田松陰らを育てた幕末最高の洋学者

佐久間象山(さくましょうざん/ぞうざん)は、江戸時代後期に洋学の第一人者として活躍した松代藩士です。

幕末の動乱期に大砲鋳造などの数々の多大な業績を残してただけでなく、吉田松陰、勝海舟、河井継之助、橋本左内、小林虎三郎、岡見清熙、加藤弘之、山本覚馬、坂本龍馬、北沢正誠などの後の日本を担う人材を育てた大人物です。

もっとも、自信過剰で傲慢な性格であったために評判は芳しくなく、数々の多大な業績を残したにもかかわらず現在に至るまで、過小評価がなされているのが残念です。

そこで、本稿では、意外と知られていない傑物・佐久間象山について簡単に解説したいと思います。 “【佐久間象山】吉田松陰らを育てた幕末最高の洋学者” の続きを読む

【静御前】日本一の白拍子と言われた源義経の愛妾

静御前(しずかごぜん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した女性白拍子であり、源義経の愛妾として有名です。

吉野山で源義経と別れた後、源頼朝の前で源義経を慕う舞を舞わされ、生まれてきた子を源頼朝に殺されるという悲しい人生を送ります。

また、その人生の最期についての記録はないことから、哀れを誘う人生を偲んで全国各地に静御前の民間伝承や静御前のものと言われる墓が点在するなど現在においてなおミステリアスな女性です。

本稿では、数奇な人生を歩んだ静御前の生涯について見ていきたいと思います。
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【源義平】悪源太と呼ばれた源頼朝の長兄

 

源義平(みなもとのよしひら)は、源義朝の庶長子と生まれた武将であり、源頼朝や源義経の異母兄にあたります。

大蔵合戦で源義賢を討ち取る武功を挙げ、「鎌倉悪源太」と呼ばれて恐れられるようになった人物です(「悪」=強い、「源」=源氏の、「太」=長男)。

平治の乱では、義平十七騎と呼ばれる少数騎兵で、平重盛率いる大軍を蹴散らしたことでも有名です。

そして、最期は、捕えられて平清盛の前に引き立てられた後、数え20歳の若さで京の六条河原で斬首されています。

本稿では、そんな波乱万丈の源義平の人生について順にみていきたいと思います。 “【源義平】悪源太と呼ばれた源頼朝の長兄” の続きを読む

【第80代・高倉天皇】父の後白河上皇と舅の平清盛の間で苦しんだ若き天皇

高倉天皇(たかくらてんのう)は、後白河天皇の第七皇子として生まれ、即位後に平清盛の娘である平徳子を中宮に迎えた天皇です。

壇ノ浦で入水した安徳天皇、承久の乱で北条義時と争った後鳥羽天皇らの父でもあります。

本稿では、後白河院と平清盛の権力争いの道具として、生涯父と舅の間で苦しめられ続けた若き天皇、高倉天皇の生涯について振り返って行きたいと思います。 “【第80代・高倉天皇】父の後白河上皇と舅の平清盛の間で苦しんだ若き天皇” の続きを読む

【第81代・安徳天皇】没落する平家と共に数え6歳で入水した幼帝

安徳天皇(あんとくてんのう)は、平清盛の傀儡として数え年3歳(満1歳2か月)で第81代天皇として即位し、その後源氏に追われて各地を転々とした後、歴代最年少の数え年8歳(満6歳4か月、6年124日)で崩御された天皇です。

歴代の天皇の中で最も短命であり、戦乱で落命したことが記録されている唯一の天皇でもあります。

本稿では、源平争乱の一番の被害者ともいえる安徳天皇の生涯について見ていきたいと思います。 “【第81代・安徳天皇】没落する平家と共に数え6歳で入水した幼帝” の続きを読む

【比企能員】源頼家の舅となって権勢を強めた比企尼の甥

比企能員(ひきよしかず)は、乳母として罪人時代の源頼朝を支え続けた比企尼の甥であったために、比企尼の猶子となって比企家の家督を継ぎ、鎌倉幕府の有力御家人となった人物です。

比企尼の功に加え、一族を利用した姻戚関係、娘の若狭局が源頼家の側室となって嫡子・一幡を生んだことなどから、鎌倉幕府内で権勢を強めていました。

もっとも、あまりに大きくなりすぎた力を恐れた北条時政に危険視され、最終的には暗殺され、一族も粛清されて比企家滅亡に至るという悲しい結末を迎えています。 “【比企能員】源頼家の舅となって権勢を強めた比企尼の甥” の続きを読む