【三国干渉】臥薪嘗胆を合言葉にロシアを仮想敵国にするに至った国辱事件

三国干渉(さんごくかんしょう)は、明治28年(1895年)4月23日、フランス・ドイツ帝国・ロシア帝国の列強三国が、日本に対して、6日前である同年4月17日に調印(国家代表者間による交渉・条約文作・署名による内容確定)された日清戦争の講和条約である下関条約(批准は同年5月8日)の内容うちの1つである日本による遼東半島所有を放棄して清に返還するよう求めた勧告です。

日本側としては、日清戦争において多くの損害を被りながら獲得した遼東半島を失うことに抵抗が多かったのですが、当時の日本陸海軍に列強三国を相手にして戦うだけの国力はなく、やむを得ずに勧告に従って遼東半島を返還するという決断に至っています。

この点については、日本政府のみならず日本国民全体が悲憤慷慨し、この屈辱を忘れないために「臥薪嘗胆」をスローガンとして、国力増強・軍事力増強に努めていくようになりました。 “【三国干渉】臥薪嘗胆を合言葉にロシアを仮想敵国にするに至った国辱事件” の続きを読む

【碧血碑】函館戦争における旧幕府軍戦死者を祀った石碑

碧血碑(へきけつひ・へっけつひ)は、戊辰戦争最終戦となった函館戦争において旧幕府軍に与して戦死した約800人の戦死者を祀った碑です。

函館戦争に勝利した新政府側戦死者が函館護国神社(函館招魂社)にて英霊として祀られたのに対し、敗れた旧幕府軍側戦死者が放置されていたことを哀れに思った函館の侠客であった柳川熊吉の尽力により建てられました。

碑文を一読しても意味が分からないのが通常ですが、歴史を勉強してから見るとイメージが大きく変わります。 “【碧血碑】函館戦争における旧幕府軍戦死者を祀った石碑” の続きを読む

【岩倉使節団】明治新政府の遣唐使

岩倉使節団(いわくらしせつだん)は、明治維新期の明治4年(1871年)11月12日から明治6年(1873年)9月13日まで、欧米列強諸国計12ヶ国を歴訪した使節団です。

岩倉具視を特命全権大使とし、首脳陣や留学生を含む100名を超える大集団で構成されました。

訪問先の欧米各国で視察した議会・銀行・工場・病院・学校などの近代設備を学び、それを日本に持ち帰ったという意味で日本近代化の原点として明治政府の国家建設に大きな影響を与えた一団であり、その大きな効果から、日本の歴史上でも遣唐使に比すべき意味をもつ使節とも言われています。 “【岩倉使節団】明治新政府の遣唐使” の続きを読む

【エルトゥールル号遭難事故】トルコが親日国である理由

エルトゥールル号遭難事件・事故は、明治23年(1890年)9月16日、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号 が、現在の和歌山県の串本町沖で遭難し、587人もの乗員乗客が犠牲者となって大事故です。

もっとも、この事故は、その後日本とトルコとの友好の証となりました。

トルコの人にとっては有名な事故ですが、日本人にはあまり知られていませんので、本稿で紹介したいと思います。 “【エルトゥールル号遭難事故】トルコが親日国である理由” の続きを読む

【庚午事変・稲田騒動】なぜ淡路島は徳島県ではなく兵庫県なのか

今は兵庫県の一部として当たり前のように認識されている淡路島ですが、歴史的に見ると徳島県である方が自然だったということをご存じですか。

淡路島は元々は淡路国といい、明治時代初期までは徳島藩・蜂須賀家の領地だったため、歴史的に見ると淡路島は兵庫県となるよりも徳島県となる方が自然だったからです。

では、なぜ淡路島は兵庫県の一部となったのでしょうか。 “【庚午事変・稲田騒動】なぜ淡路島は徳島県ではなく兵庫県なのか” の続きを読む