信濃国内で諏訪盆地・伊那盆地北部を獲得した武田信玄は、次に佐久盆地獲得を目指します。
主たる攻略対象は、大井貞清が治める内山城と笠原清繁が治める志賀城です。
なお、本稿がどの段階の話であるかについては、別稿【武田信玄の領土拡大の軌跡】をご参照ください。
信濃国内で諏訪盆地・伊那盆地北部を獲得した武田信玄は、次に佐久盆地獲得を目指します。
主たる攻略対象は、大井貞清が治める内山城と笠原清繁が治める志賀城です。
なお、本稿がどの段階の話であるかについては、別稿【武田信玄の領土拡大の軌跡】をご参照ください。
東に北条、南に今川という超大国がある甲斐国・武田家としては、領土を拡大するためには北西の信濃国に向かうほかはありません。
この点、信濃国は山地で平野部が遮られているために超大国が成立することはなく、伊那・諏訪・佐久・善光寺平・上田・松本という6つの盆地に国人衆が群雄割拠している状態でした。
そこで、武田信玄は、これらの小勢力を各個撃破していけば国力の増強が図れると考え、本拠地である甲斐国に近い場所から順に攻略作戦を展開していきます。
天文11年(1542年)9月に信濃国・諏訪郡を攻略した武田信玄は、続いて伊那獲得を目指すのですが、伊那盆地への侵攻は諏訪盆地から行うこととなりますので、まず攻略対象となるのは伊那郡北部(上伊那)となり、具体的には藤沢頼親が治める福与城と高遠頼継が治める高遠城に決まります。
なお、本稿がどの段階の話であるかについては、別稿【武田信玄の領土拡大の軌跡】をご参照ください。
勝竜寺城は、細川忠興とその妻ガラシャが新婚時代を過ごした城であり、山崎の戦いで敗れた明智光秀が最後の夜を過ごした城でもあります。
京にもほど近く、度々歴史上のターニングポイントに現れる城であるにもかかわらず、その遺構のほとんどが消失していることから、マイナー扱いされている勝竜寺城。
本稿では、そんな勝竜寺城について簡単に解説をしていきます。 “【勝竜寺城】細川ガラシャ輿入れと明智光秀最後の城” の続きを読む
豊臣秀吉から肥後国一国を与えることを条件に配下になるよう求められたのに、これを断って斬首を望んだ猛将をご存知ですか。
栄養状態の良くない戦国時代に180cmもの体躯を持つ巨漢で、戦場で無類の強さを発揮して鬼玄蕃と恐れられた佐久間盛政です。
織田家中の重臣一家に生まれ、金沢の基礎を築いた人物でもあります。
数々の伝説を残し、太く短い人生を走り切った佐久間盛政の人生について見ていきましょう。 “【佐久間盛政】肥後一国よりも斬首を選んだ鬼玄蕃” の続きを読む
筒井順慶をご存知ですか。
松永久秀と大和国の支配権を争い、最終的には大和国一国を勝ち取った武将なのですが、松永久秀と比べると知名度はイマイチです。
また、業績よりも「洞ヶ峠を決め込む」との語源となったパッとしないエピソードの方が有名かもしれません。
本稿では、隠れた偉人と呼べるかもしれない筒井順慶の生涯について簡単に説明していきたいと思います。 “【筒井順慶】洞ヶ峠を決め込むの語源となった大和国の戦国大名” の続きを読む
武田信玄・武田勝頼に仕えた武田四天王の1人で、武田二十四将でもある高坂昌信(春日虎綱)。
武名高い武将が煌めく武田家中で、イマイチ戦功が見えにくい武将でもあります。
なぜ、高坂昌信が武田四天王で武田二十四将なのでしょうか。
実は、突出した守りの武将なのです。引き際も完璧で「逃げ弾正」とも呼ばれます。
以下、そんな高坂昌信(春日虎綱)の生涯について見ていきましょう。 “【高坂昌信(春日虎綱)】海津城を上杉謙信から守り抜いた智将” の続きを読む
真田三代の祖である真田幸隆 。
息子・真田昌幸や孫・真田信繁と比べると知名度はやや落ちますが、活躍は全く劣りません。
外様(信濃衆)でありながら甲斐国譜代家臣同等の待遇を与えられた名将で、息子三人と共に武田二十四将にも数えられています。 “【真田幸隆】攻め弾正と呼ばれた真田三代の祖” の続きを読む
戦国時代に合戦のやり方から、城の構造まで、武士の作法の全てを一変させた新兵器があります。鉄砲(火縄銃)です。
その伝来場所から種子島とも言われます。
そして、その鉄砲の一大生産地として有名なのが近江国坂田郡国友(現在の滋賀県長浜市国友町)です。
では、なぜ種子島から遠く離れた国友が鉄砲の一大生産地となったのでしょうか。
以下、鉄砲の里・国友の歴史について簡単に説明したいと思います。 “【近江国・国友】機能美を極めた鉄砲・火縄銃の里” の続きを読む
日本で農民から頂点まで上り詰めた人物挙げるとすると、ほとんどの人が豊臣秀吉の名を挙げると思います。
もっとも、余り知られていませんが、日本の歴史上、農民から頂点まで上り詰めた人物がもう1人います。
伊藤博文です。
豊臣秀吉に匹敵する究極の成り上りをした大人物ですが、意外に知名度がありません。
そこで、本稿では、もう1人の成り上がり者である伊藤博文の人生を振り返ってみたいと思います。 “【伊藤博文】農民から内閣総理大臣までのし上がった調整型リーダーの前半生” の続きを読む
戦国最強で名高い武田信玄は、52年の生涯の中で自ら指揮をとって敗れた戦が2回あります。
この2回はいずれも北信濃の雄・村上義清に敗れているのですが、生涯で2回しか負けていない理由は、この2回の敗戦により武田信玄を反省し、その都度兵法を変えていったからです。
このうち、特に武田信玄に大きな影響を与えたのが2回目の敗北である砥石崩れです。
砥石崩れによる敗戦とその後の砥石城攻略が武田信玄を負けない武将に育てあげたのです。
以下、武田最強伝説を作ったともいえる砥石崩れとそれが武田信玄に及ぼした影響についてみていきましょう。 “【砥石崩れ】武田信玄の戦の概念を一変させた2度目の大敗北” の続きを読む