【京都・島原】江戸時代に京文化の中心となった花街の現在

京の花街「島原」をご存じですか。

島原は、日本で初めて公許された最古の花街であり、日本三大遊郭(江戸吉原・大坂新町・京都島原)、京都の六花街(祇園甲部・宮川町・先斗町・上七軒・祇園東・島原)などと言われて栄えた花街です。

歓楽街としてだけでなく京文化の中心として栄えのですが、時代の流れとともに衰退して昭和52年(1977年)にその歴史を閉じています。

往時の遺構としては、島原大門、輪違屋、角屋くらいしか残されていませんが、街全体を歩いてみると花街としての雰囲気が残っていますので、本稿を観光の一助としていただければ幸いです。 “【京都・島原】江戸時代に京文化の中心となった花街の現在” の続きを読む

【平安京の朱雀大路】京の都のメインストリートの現在を歩く

平安京のメインストリートといえば「朱雀大路」のはずです。

遷都時に、平安京中央を南北に縦断する形で設置された道路幅84mとも言われた大通りです。

もっとも、平安京の右京が衰退して平安京の機能が左京に移っていったために、平安京の中心も東側に移動し、平安京の中央大通りとしての機能が失われていき、朱雀大路も廃れていきました。

本稿では、一時期ではあるものの平安京のメインストリートとされた朱雀大路を、観光目的で散歩していただく際の参考となるよう簡単に朱雀大路の歴史と、沿線の現状を紹介したいと思います。 “【平安京の朱雀大路】京の都のメインストリートの現在を歩く” の続きを読む

【東大寺大仏殿焼失】戦火で2度焼失した東大寺金堂の歴史

修学旅行の定番となっている奈良・東大寺の大仏と大仏殿ですが、天平期に創建・造立された後,2度も戦火で焼かれていることはご存じですか。

現在ある大仏殿は、実は江戸期に再建された三代目を改修したものであり、天平期(初代)のものはもちろん,鎌倉期(2代目)のものとも全く違う様式で建てられています。

大仏様や大仏殿を焼くなんてとんでもないと思われるかもしれませんが、戦争が起こるとそんなことも言ってられないのかもしれません。

本稿では、奈良観光に行く前に基礎知識を得て、より東大寺大仏殿観光を楽しんでいただけるよう、東大寺大仏殿の歴史について簡単に説明したいと思います。 “【東大寺大仏殿焼失】戦火で2度焼失した東大寺金堂の歴史” の続きを読む

【源頼朝の墓】勘違いしがちな初代鎌倉殿の墓の場所(観光用)

源頼朝公の墓を観光された方は相当数おられると思うのですが、その大部分の方は場所を間違っておられます。

その原因は明らかです。

ネットで「源頼朝の墓」と検索すると誤った情報があふれ出てくるからです。

グーグルマップの記載も誤っています。

本稿では、この誤りを正し、観光に際してきちんと源頼朝の墓に参ることができるよう、本当の源頼朝の墓がどれなのかについて、その理由もあわせて説明したいと思います。 “【源頼朝の墓】勘違いしがちな初代鎌倉殿の墓の場所(観光用)” の続きを読む

大阪城内の巨石ランキングとその所在場所(観光用)

現在、大阪の観光名所の1つとなっている大阪城には様々な見どころがあります。

そのうちの1つとして、どうやって運んだのかすら想像できない程の巨石が点在していることが挙げられます。

本稿では、大阪城に使われている巨石を表面積別ランキングにし、その所在と共に紹介していきたいと思いますので、大阪城を観光される際の参考にしていただければ幸いです。 “大阪城内の巨石ランキングとその所在場所(観光用)” の続きを読む