同じ意味と考えられることが多い「百姓」と「農民」という言葉ですが、歴史的な意味では完全に同義ではありません。
意味合い的に重なる点があることから混同しがちであり、歴史的に見ても江戸時代中期ごろから混同して利用されてきたのですが、実際には異なる概念です。
本稿では、本来的には異なる意味である「百姓」と「農民」の違いについて簡単に説明したいと思います。 “【百姓と農民の概念の違い】百姓≠農民である理由” の続きを読む
日本の歴史をできる限りをわかりやすく
同じ意味と考えられることが多い「百姓」と「農民」という言葉ですが、歴史的な意味では完全に同義ではありません。
意味合い的に重なる点があることから混同しがちであり、歴史的に見ても江戸時代中期ごろから混同して利用されてきたのですが、実際には異なる概念です。
本稿では、本来的には異なる意味である「百姓」と「農民」の違いについて簡単に説明したいと思います。 “【百姓と農民の概念の違い】百姓≠農民である理由” の続きを読む
渡来銭(とらいせん)は、平安時代末期から江戸時代初期に至るまでの長きに亘り、日本国内で流通した外国製の硬貨(銭貨)です。
中国銭が主体なのですが、他にも安南銭・朝鮮銭なども存在しています。
奈良時代には国内で硬貨を鋳造していた日本において、天皇家の権威が低下したことにより絶対的権力者がいなくなったために硬貨の通用をさせることができなくなり、またこのことにより硬貨鋳造能力を失ったために硬貨を外国から仕入れることで国内通貨を賄おうとして大量に輸入されました。 “【渡来銭の歴史】平安時代から昭和時代まで使われた外国銭の歴史と一覧” の続きを読む
日本の近代化が始まった明治維新以降、日本政府は、欧米列強諸国に追いつき追い越すために各種の富国強兵政策を進めていきます。
そして、その一環として近代貨幣制度の整備を始め、明治4年(1871年)に造幣局(創設当時の名称は「造幣寮」)を創設し、硬貨の鋳造に取り掛かります。
その後、日本では各種硬貨が発行されていったのですが、欧米列強諸国に追いつくため、海外との貿易で利を得るため、海外植民地政策を進めるため、長引く戦争により資源が乏しくなっていったためなど、その時代を反映した興味深い造りとなっています。
そこで、本稿では、明治維新以降に日本において発行された(造幣局で鋳造された)近代・現代貨幣について、その歴史と発行硬貨の一覧を紹介していきたいと思います。
なお、記載内容は、本稿を書いた令和7年4月時点のものとなっています。 “【日本の近代・現行硬貨史】造幣局鋳造硬貨の歴史と一覧” の続きを読む
大阪環状線は、その名のとおり大阪市街地を環状に走行するJR路線です。
大阪市内で最も有名ともいえるこの路線ですが、完成したのはそれほど昔ではありません。
また、環状と言いつつも円形ではない変な形をしており、その理由は、
既に市街地を形成していた大阪の町の内部に線路を引き込むことが出来なかったことから、外周に沿って線路が敷設されるに至ったことによります。
本稿では、大阪環状線が現在の形になるに至った経緯について順に説明していきたいと思います。 “【大阪環状線の歴史】私鉄を国有化して繋ぎ合わせたループ路線” の続きを読む
現在の日本では、中国文字を日本の言語体系にアレンジした漢字と、そこから生み出したカタカナ・ひらがなを文字とし、これらを併用して使用されています。
このうちの漢字は、訓読み・音読みという別個の基本的な読み方がある上、熟字訓・国訓などの特殊な読み方もあり、さらにら固有名詞ではさらなる例外も存在していることから、とても複雑なものとなっています。
また、諸外国では通常1種類しか存在しない1人称の表記を例にしても、私・僕・麿・当方・小生など思いつくだけでも何十通りもの表現があります。
これらの文字種類・複数読み・単語の多さなどが複雑に絡み合った結果、日本語は世界一複雑な言語となってしまいました。
本稿では、世界一難しい言語となるに至った日本の文字の成り立ち等についての歴史的経緯を簡単に解説していきたいと思います。 “【日本における文字の歴史】文字の始まり・種類・現在の指針などについて” の続きを読む
三種の神器とは、天照大神(アマテラス)が、天孫降臨する邇邇芸命(ニニギ)に対して授けた①八咫鏡(やたのかがみ)・②天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)・③八尺瓊勾玉という3つ宝物の総称です(古事記)。
神器は、一般に「じんぎ」と呼ばれることが多いのですが、「しんき」・「しんぎ」・「じんき」などと呼ばれることもあります。
これらは、邇邇芸命と共に地上世界に降りてきた後、その子孫である天皇に引き継がれていき、代々の天皇が神の子孫であることの証明とされる宝物となりました。
三種の神器とひとまとめにされているのですが、その格式に序列があることや、それらの所在、三種と言いながら実際には5つ存在していることなどはあまり知られていないように思いますので、その辺りを踏まえて三種の神器の所在について解説していきたいと思います。 “【三種の神器の所在】天皇の証はどこにあるのか” の続きを読む
倭とは、中国に朝貢していた時期である古代日本の呼び方です。
奈良時代に入るまでの日本には記録を残す文化がなく、現存する最古の書物である古事記ですら和銅5年(712年)に完成したものですので「倭」の時代を日本の同時代資料から確認することはできません。
そのため、主に中国に残された歴史書により、「倭」と呼ばれた古代日本について振り返っていきたいと思います。 “【倭と呼ばれていた頃の日本】中国歴史書から見る古代日本の歴史” の続きを読む
貨幣制度とは、硬「貨」+紙「幣」という貨幣によって商品・サービスの交換を媒介する経済制度です。
この制度の下では、中央国家などが、貨幣(通貨)の発行方法・種類・単位・価値などを決め、それを基に商品流通が行われることが一般的となります。
もっとも、貨幣自体にはその額面が表す価値があるわけではありませんのでその流通には発行者(統治機関)に対する信頼が絶対条件となるのですが、現在に至るまで統治機関の変遷がありその信頼にも大きな波がありましたので、貨幣制度についても紆余曲折あるという歴史的経過を経ています。
そこで、以下、貨幣制度の導入から、現在の管理通貨制度確立に至るまでの貨幣の歴史について見ていきたいと思います。
なお、貨幣史のうち、渡来銭に特化したものを別稿「渡来銭の歴史」、「明治維新後の」近代・現行「硬貨」に特化したものを「日本近代硬貨・現行硬貨の歴史」において詳細に説明しておりますので、興味があればそちらもご参照ください。
現在の日本では、宗教との関わりが希薄と言われており、確固たる信仰を持っている人はそう多くはありません。
そのため、その多くが仏教徒とされる日本人も、冠婚葬祭などでお坊さんに接するくらいしか宗教に関わり合いがなく、またお坊さんの姿から宗教に平和的イメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
このイメージは、江戸時代以降の僧が丸腰であり、軍事力・武力をもって物事を解決しようとしていないために宗教が平和的な存在であるかのように見えているのですが、歴史的に見ると全くそのようなことはありません。
むしろ、歴史的に見ると、日本の宗教においては何度も宗教戦争が起こり、これまでに多くの血が流れているのです。
現在の平和的イメージは、宗教団体を無力化させた戦国武将と、再びそのような事態に陥らないようにするために考えられた対応策の結果なのです。
本稿では、これらの宗教戦争の歴史と、江戸時代以降にこれらが封じられるに至った経過について見ていきたいと思います。 “江戸時代以降の日本で宗教戦争が起きなくなった理由とは” の続きを読む
本稿のアイキャッチ画像としている騎馬武者像を見たことがありますか。
髻の解けた髪が乱れた上に残ったわずかな矢のうちの一本は折れているにもかかわらず、口を力強く閉じ前方を鋭く見据えて、大太刀を抜き身で担ぎながら黒毛馬に乗って駆ける張り詰めた緊張感を漂わせる武者の姿が描かれています。
かつての歴史教科書などでは、この躍動感にあふれた武者は、室町幕府初代将軍である足利尊氏であるとされていました。
筆者も学生時代にそのように習いました。
もっとも、この騎馬武者像が足利尊氏像であるとする見解に対しては、有力な反対説が存在しています。
本稿では、必ずしも明らかとなっていない騎馬武者像の像主についての学説を紹介したいと思います。 “【伝足利尊氏像の像主は誰?】” の続きを読む