【武田信繁】戦国最強甲斐武田家の絶対的ナンバー2

最強武田軍のナンバー2といえば?もしもこの人が生きていたら武田軍滅亡はなかったのではないか?と言われて誰もが思い描く武田信繁。

本稿では、才に恵まれ欠点がほぼ見当たらないパーフェクトヒューマンであり、甲斐武田家を継ぐ可能性があったにもかかわらず、兄武田信玄の脇役に徹したという武田信繁の生涯について見ていきましょう。 “【武田信繁】戦国最強甲斐武田家の絶対的ナンバー2” の続きを読む

【朝倉宗滴】越前朝倉氏の事実上の当主と言えるチート武将

11代・戦国5代続いた越前朝倉氏の中で最も有能な武将である朝倉宗滴。

越前朝倉氏を戦国大名に成り上げたのが、7代・戦国初代朝倉孝景ですが、越前朝倉氏を大大名にしたの間違いなく朝倉宗滴です。

7代・戦国初代朝倉孝景の子ですが、当主でもない朝倉宗滴がどうやって越前朝倉氏を大大名としたのかについて、朝倉宗滴の生涯を追いながら見ていきます。 “【朝倉宗滴】越前朝倉氏の事実上の当主と言えるチート武将” の続きを読む

【足利義満】南北朝を合一し室町幕府最大の繁栄をもたらした3代将軍

一休さんの将軍様で有名な足利義満。

金閣寺を建てた人であるということはよく知られていますが、その詳細は意外と知られていません。

混乱を極めた南北朝の動乱を沈め、室町幕府の最盛期をつくった偉大な人物です。

本稿では、波乱に満ちたその生涯について見ていきましょう。 “【足利義満】南北朝を合一し室町幕府最大の繁栄をもたらした3代将軍” の続きを読む

【杉谷善住坊】織田信長の狙撃に失敗し鋸挽き刑に処された男

杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)という名を聞いたことがありますか。

この名を聞いてピンときたあなたは相当の日本史マニアです。

杉谷善住坊は、織田信長を狙撃した人物として有名な人物です。 “【杉谷善住坊】織田信長の狙撃に失敗し鋸挽き刑に処された男” の続きを読む

【毛利新介】本能寺の変で今川義元の首を討ち取った武将

毛利新介の名を知っていますか。

この名側がわかる人は相当の歴史通です。

毛利新介は、織田信長の馬廻として仕え、桶狭間の戦いで今川義元の首級をあげた武将です。

本稿では、そんな毛利新介の一生について見てみましょう。 “【毛利新介】本能寺の変で今川義元の首を討ち取った武将” の続きを読む

【松永久秀】三好長慶を天下人に押し上げた戦国三大梟雄(?)の1人

戦国時代のもっともインパクトのある死に方をした武将と言えば誰を思い浮かべますか。
将軍を暗殺し東大寺を焼き討ちした極悪人という話でも有名な松永久秀ではないですか。
今日では、研究が進み、これらのエピソードは真実ではないことがわかっています。
そこで、先入観が先行していて、実は実体がよく知られていない松永久秀について見ていきましょう。 “【松永久秀】三好長慶を天下人に押し上げた戦国三大梟雄(?)の1人” の続きを読む

【本多忠勝】生涯57回の合戦で傷1つ負わなかった剛の者

歴史好きが戦国最強の武将を挙げる場合に名が多く挙がる本多忠勝。

徳川家康に従って大小57回もの戦に参戦し、一度も傷を負わなかったという化け物です。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などからもその武勇が称賛され、特に、徳川家にとっては、徳川家康の命を数多く救ってきたこともあり徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑などにも名が挙がる江戸幕府成立の最大の功労者とも言えます。

本稿では、そんな本多忠勝の生涯について見ていきましょう。 “【本多忠勝】生涯57回の合戦で傷1つ負わなかった剛の者” の続きを読む

【馬場信春】不死身の鬼美濃の生涯と壮絶な最期

40年以上に亘って武田3代に仕え、70回を越える戦を常に最前線で戦ったにもかかわらず、命を落とすことになった長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかった「不死身の鬼美濃」馬場信春(何度か名が変わっていますが、本稿では馬場信春で統一します。)。

一国の太守になれる器量人であるとまで評される大器であったとも言われます。

そして、死際までカッコいい。シビれます。 “【馬場信春】不死身の鬼美濃の生涯と壮絶な最期” の続きを読む

【足利義教】織田信長を超える魔王・万人恐怖政治をした室町6代将軍

室町幕府の将軍に織田信長を超える魔王がいたことをご存知ですか。

6代将軍・足利義教です。

高い能力を発揮して室町幕府の権威を取り戻したという成果がある反面、権力を集めてやりたい放題やりまくって万人恐怖政治と恐れられた暴君でもあります。

本稿では、そんなやりたい放題将軍、足利義教の生涯について見ていきましょう。 “【足利義教】織田信長を超える魔王・万人恐怖政治をした室町6代将軍” の続きを読む

【賤ヶ岳七本槍】賤ヶ岳の戦いで活躍して出世した7人というのは本当か?

「賤ヶ岳七本槍」を知っていいますか。

織田信長が死亡した後、その実質上の後継者の座を巡って、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉と名乗っていましたが、本稿では豊臣秀吉で統一します。)と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦いにおいて、比類なき戦功を挙げたとされる豊臣秀吉子飼いの武将7人のことです。

この賤ヶ岳七本槍は名前こそ有名なのですが、なぜこんなに有名となったのかについては、はっきりしていないことも多くあります。

本稿では、賤ヶ岳の戦いの概略と賤ヶ岳七本槍の活躍(?)について解説していきます。 “【賤ヶ岳七本槍】賤ヶ岳の戦いで活躍して出世した7人というのは本当か?” の続きを読む