比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)は、元亀2年(1571年)9月12日、織田信長が、比叡山麓の寺内町と延暦寺に対して総攻撃をしかけてこれらを焼き払うと共に僧侶・学僧・上人・児童に至るまで虐殺し尽くしたと言われてきた戦いです。
この点については、織田信長が比叡山延暦寺を無効化したことは争いがないのですが、その規模やそこに至る合戦の経緯は諸説あり、その真偽は必ずしも明らかではありません。
そればかりか、近年の発掘調査によると、織田信長による焼き討ちの前から比叡山の施設の多くは廃絶していた可能性が指摘され、これまで伝えられていたような戦いではなかったとする説も有力になってきています。
本稿では、これらも踏まえ、織田信長によって行われた比叡山焼き討ちについて、そこに至る経緯から順に説明したいと思います。 “【比叡山焼き討ち】織田信長が第六天魔王と呼ばれるに至った殺戮戦” の続きを読む

