日本三大石鳥居とは、日本全国に点在する石造鳥居の中で、さらに歴史のある大きな3つの鳥居をいいます。
古来より「三大・・」が好きな日本人は、平和になって庶民が旅行をする余裕が出来始めた江戸時代になると、石鳥居についても日本三大石鳥居と称してランク付けをしてきました。
誰がどういう根拠で定めたのかは知りませんが、日光東照宮・一之鳥居、八坂神社・旧三之鳥居、鶴岡八幡宮・一之鳥居が日本三大石鳥居とされるのが一般的ですので、それぞれ簡単に説明したいと思います。
なお、いずれもあまりにも大きな鳥居であるため、その柱に切れ目があり、二つの石をつなぎ合わせて造られています。
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鳥居とは
鳥居(とりい)とは、人間が住む俗界と神域とを区画する結界を意味し、神社などの入口に屋根のない門として設置されるのが一般的です。
俗界と神域との区画なのですが、神仏習合の結果として、仏教寺院にも見られることもあります。
鳥居の形式としては、神明鳥居・鹿島鳥居・明神鳥居・八幡鳥居・春日鳥居・中山鳥居・外宮鳥居・三柱鳥居・三輪鳥居・両部鳥居などがあり、それぞれの祭神との関連と言うよりは寄進者の好みによることが一般的です。
ひとつの参道に複数の鳥居が設置される場合には外側から「一の鳥居、二の鳥居…」と呼ぶことが多く、個数については「1基、2基」と数えます。
鳥居の材質としては、加工が容易な木造によることが多いのですが、特に江戸時代以降には、わざわざ北九州や瀬戸内海の花崗岩を運び込むことで奉納者の権力を示す意味で石造の鳥居が造られていくようにもなりました。
もっとも、その種類は様々であり、陶山神社(佐賀県西松浦郡有田町)の磁器製鳥居など独特の鳥居も全国に点在しています。
日本三大石鳥居
日光東照宮・一之鳥居(重要文化財)
日光東照宮・一之鳥居は、日光東照宮の入口に位置する高さ約9.2m・柱間約6.7m・直径約3.6mの明神鳥居です。
元和4年(1618年)4月17日、筑前藩主・黒田長政によって奉納されました。
材料となる石材は花崗岩であり、黒田長政が治める筑前国志摩郡小金丸村の親山(現在の福岡県糸島市)から切り出された15個の石を海路と陸路を経て日光へと運ばれ組み立てられました。
日光山には、黒田家以外の諸大名が奉納した鳥居も随所に見られ、これらの鳥居群は、諸大名による徳川将軍家への恭順の意思を示すためのアピールであったことが推認され、黒田家の一之鳥居もその一環であったと考えられています。
なお、一之鳥居の扁額は、後水尾天皇の勅筆にて「東照大権現」のと書かれています。
八坂神社・旧三之鳥居(重要文化財)
八坂神社・旧三之鳥居は、八坂神社の南側にある南楼門に位置する高さ約9.33mの明神鳥居です。
正保3年(1646年)に建立されました。
寛文2年(1662年)の地震で倒壊した後、寛文6年(1666年)に補修再建されて現在に至ります。
なお、東大路通りに面した西楼門があまりにも有名ですのでこれが八坂神社の正門だと思っている方が多いのですが、八坂神社の正門は、八坂神社・旧三之鳥居南側にある南楼門(旧三之鳥居)ですので注意して下さい。
八坂神社・旧三之鳥居には、有栖川宮熾仁親王筆による「八坂神社」と記された扁額が掲げられているのですが、江戸時代には八坂神社ではなく「祇園感神院」と呼ばれており八坂神社と呼ばれるようになったのは明治期以降であることから、この扁額もまた明治以降に掲げられたものであることがわかります。
鶴岡八幡宮・一之鳥居(重要文化財)
鶴岡八幡宮・一之鳥居は、由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に向かう参道である若宮大路に位置する高さ約8.5mの明神鳥居です。
浜の大鳥居とも呼ばれます。
寛文8年(1668年)、江戸幕府第4代将軍・徳川家綱によって奉納されました。
材料は、備前国犬島産の御影石(花崗岩)と言われています。
大正12年(1923年)に起こった関東大震災によって倒壊した後、昭和11年(1936年)に再建されて現在に至ります。
その他の石鳥居
四天王寺・西門石鳥居(重要文化財)
四天王寺・西門石鳥居は、四天王寺の西側にある門とされる高さ約8.5mの明神鳥居です。
元々は木造鳥居だったのですが、永仁2年(1294年)に当時の四天王別当であった忍性によって石造に造り変えられました。
「釈迦如来、転法輪処、当極楽土、東門中心」と書かれた扁額が掲げられており、当時はこの鳥居のすぐそばにあった海岸線から西海に沈む夕陽を拝し、彼方にある阿弥陀浄土に想いを至らせる場所でもありました。
なお、四天王寺・西門石鳥居は、日本最古の石鳥居であるため本稿で紹介する日本三大石鳥居に含まれていないのが不自然かと思うのですが、これは①四天王寺・西門石鳥居、②金峯山寺・銅鳥居、③厳島神社・楠鳥居の3つが「日本三鳥居」として別括りとされているため、これとは別括りの「日本三大石鳥居」の括りから外れているようです。
石清水八幡宮・一之鳥居
石清水八幡宮・一之鳥居は、高さ約9mの花崗岩製の鳥居です。
元々は木造鳥居だったのですが、度々その建て替えが行われ、寛永13年(1636年)に松花堂昭乗の発案によって石造に造り変えられ現在に至ります。
「八幡宮」と書かれた扁額が掲げられており、これは元々一条天皇の命により藤原行成(三蹟)によって書かれたものを、元和5年(1619年)に松花堂昭乗(寛永の三筆)がその筆跡のとおりに書写したものと言われています。
なお、鳩が八幡神の使いとされていることにちなんで、この扁額の八の字は2羽の鳩の形で描かれています。