【本町の曲がり】東横堀川にあった謎のクランク

「本町の曲がり」とは、現在の大阪市中央区内を南北に流れる東横堀川のうち、本町橋(北側)と農人橋(南側)との間にある折れ曲がり部分をいいます。

東横堀川開削時にできた謎のクランクであり、自殺の名所として有名な場所でもありました。

現在までにクランクは緩いS字カーブに造り変えられまたその上空には阪神高速の高架が架けられていますので、現在の姿は往時の姿ではないものの、往時の名残が残る場所となっています。

本稿では、この本町の曲がりについて、その完成の経緯から簡単に見ていきたいと思います。

東横堀川開削(1583年)

東横堀川は、天正11年(1583年)から始まった大坂城築城に要する資材の運搬路とするために開削された運河であり、大坂城築城後は西側外堀の役目を果たしました。

豊臣秀吉が大坂城を築城する前は、東横堀川が開削される前の同地周辺は、大坂本願寺(石山御坊)の寺内町として多くの町屋が立ち並んでいる区画でした。

もっとも、大坂城を築城した豊臣秀吉は、大坂城の西側の守りを固めるために、大坂城の二の丸の外側に曲輪を築いた後、さらにその周りに大名屋敷を配置して防御を固めました。

このとき、大名屋敷を配置するに際して邪魔になった町屋群は、東横堀川を挟んだ西側に、砂洲を埋め立てた土地を開発して(船場)、一斉にそこに移されたため、東横堀川は、大坂城の外堀の役目を担う川となりました。

本町の曲がり

本町の曲がり完成

大坂城の西側に南北に開かれた東横堀川ですが、1箇所だけクランクができてしまいました。

それは、本町橋(北側)と農人橋(南側)との間(現在の大阪市中央区南本町1丁目辺り)に出来上がった2度の直角であり、古くから「本町の曲がり」と呼ばれる場所です。

この直角が出来た理由としては、東横堀川を開削をさせる際に予定地上にあった浄国寺を立ち退きさせることができずにやむなく川筋を曲げざるを得なかったとも、元々あった大川の排水が曲がっておりそれを改修して堀としたために川筋が曲がったとも言われますが、その正確な理由は不明です。

自殺の名所となる

江戸時代の東横堀川の川幅は現在よりも広く(東横堀川に架かる本町橋の長さは約47.8mあったとされています)そこを流れる水量も多かったため、本町の曲がりは、そこを通過する流水が岸にぶつかって渦を巻く場所となりました。

そのため、本町の曲がりでは水難事故が多く発生し、また自殺目的でこの渦に身投げをする人が続出するという自殺の名所となったため、多数の死者が出る悲しい場所となってしまいました。

そのため、本町の曲がりには河童が住んでいて、そこを通る人々を水の中に引きずり込むという都市伝説まで出来上がりました。

そして、本町の曲がりで多発した水死者を供養するため、本町の曲がりの西側に曲り渕地蔵尊が建立されています。

現在の本町の曲がり

本町の曲がりは、後にゆるやかなS字カーブに造り直されていますので、現在では往時の渦を見ることはできません。

また、昭和45年(1970年)に東横堀川の上に阪神高速道路の高架が架けられたため、現在の地図や航空写真では本町の曲がりが判別しにくくなっていますので、興味がある方は是非一度現場を歩いて往時を偲んでいただければ幸いです。

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