不破関(ふわのせき)は、天智天皇の死後に皇位継承を巡って勃発した壬申の乱に勝利して即位した天武天皇により、天武天皇2年(673年)に現在の岐阜県不破郡関ケ原町に設けられた古代東山道の関所の1つです。
不破関が置かれた場所であったため、同地周辺は関ヶ原と呼ばれます。
当初は、東山道を監視することによって都(飛鳥浄御原宮)を防止する役割を担っていたのですが、次第に周囲の警察・軍事の機能を兼備するようになります。
また、律令制度の整備により、伊勢鈴鹿関(東海道)・越前愛発関(北陸道)と共に3関の1つに数えられ、関西(畿内)と関東(東国)とを分ける境目にもなっています。
もっとも、膨大な費用を要する三関の維持が困難となった朝廷は三関の廃止を決定し、延暦8年(789年)7月、不破関もまた廃止されるに至ります。 “【不破関】天武天皇により設けられた東山道防衛の拠点” の続きを読む