三浦 義村(みうら よしむら)は、源頼朝の旗揚げ時からこれに付き従い、最終的には鎌倉幕府内において得宗家に次ぐ鎌倉幕府の実質ナンバー2にまで上り詰めた御家人です。
首謀者とされるものはないものの、北条義時の右腕として鎌倉幕府内での粛清劇のほぼ全てに関与し、しかもその全てで勝者(源頼朝→北条時政→北条義時→北条政子)の側で行動をしていることから、黒幕といえる人物であるといえるかもしれません。
京の公家であった藤原定家の日記である明月記にも、「義村八難六奇之謀略、不可思議者歟(計略に長けた何を考えているのからからない人物である。)」と記載された程の暗躍ぶりでした。 “【三浦義村】北条義時と共に数々の御家人粛清に関与した御家人” の続きを読む