日明貿易(にちみんぼうえき)は、室町時代に日本と当時の中国王朝であった明との間で行われた公的貿易です。
遣隋使・遣唐使の時代から中国王朝との対等貿易を指向していた努力をひっくり返し、経済的利益のみに目をくらませて朝貢・冊封を受け入れた、次代に逆行する屈辱的貿易でもありました。
遣明船の上陸場所が中国の「寧波」に限定された上、そこで外交使節に明の皇帝から発給された倭寇と区別するための通行証(貿易許可証ではなくあくまでパスポートに過ぎませんでした)である勘合の査証が行われ、これをパスした者のみが同港への通行が許されることとなったという貿易携帯から勘合貿易とも言われています。
日明貿易の日本側の担当者は、その時々の日本側の政治情勢により変化し、当初は懐良親王であったのですが、その後は足利義満→足利義教→有力守護大名及び商人→大内氏と変遷し、最終的に日明貿易を独占して巨万の利権を得ることとなった大内氏が下剋上によって滅亡したことにより、担当者を失った日明貿易もまた終了するに至っています。 “【日明貿易】朝貢貿易を受け入れた室町時代の日中貿易” の続きを読む