【綏靖天皇陵】かつての神武天皇陵跡地に治定された2代天皇の陵

綏靖天皇陵は、第2代天皇であるとされる綏靖天皇の陵です。

宮内庁により奈良県橿原市四条町の遺跡名・俗称「塚山」「塚根山」がこれに治定されており、陵の名としては桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)と呼ばれます。

日本で長い間尊崇を集めてきた天皇の中の墓所ですので、丁重に祀られた上で引き継がれてきた場所だと思われがちなのですが、中世には荒廃してその場所すらわからなくなっています。

そのため、前記の桃花鳥田丘上陵が本当に綏靖天皇陵であるかは必ずしも明らかではありません(そもそも、綏靖天皇が実在していたかすら定かではありません。)。

以下、紆余曲折を経て現在地の治定に至った経緯を基に綏靖天皇陵について説明していきます。 “【綏靖天皇陵】かつての神武天皇陵跡地に治定された2代天皇の陵” の続きを読む

【神武天皇陵】その所在が諸説ある初代天皇の陵

神武天皇陵は、その名のとおり日本の初代天皇とされる神武天皇の陵です。

宮内庁により奈良県橿原市大久保町の遺跡名・俗称「四条ミサンザイ」がこれに治定されており、陵の名としては畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)と呼ばれます。

日本で長い間尊崇を集めてきた天皇の中でも特別な存在ともいえる初代天皇の墓所ですので、丁重に祀られた上で引き継がれてきた場所だと思われがちなのですが、中世には荒廃してその場所すらわからなくなっています。

そのため、前記の畝傍山東北陵が本当に神武天皇陵であるかは必ずしも明らかではありません。

以下、治定に至る経緯から順に神武天皇陵について説明していきます。 “【神武天皇陵】その所在が諸説ある初代天皇の陵” の続きを読む

【平城京】奈良時代を支えた奈良盆地北端の都

平城京(へいじょうきょう/へいぜいきょう)は、奈良時代に大和国北部(奈良盆地北部、現在の奈良市・大和郡山市)におかれた日本の都です。

唐の都長安城を模倣して大和国に建造された都城であり、和銅3年(710年)、それまでの都であった藤原京から遷都された後、短期間の中断期間を経て、延暦4年(785年)に長岡京に遷都されるまで都として政治の中枢を担いました。 “【平城京】奈良時代を支えた奈良盆地北端の都” の続きを読む

【東大寺大仏殿焼失】戦火で2度焼失した東大寺金堂の歴史

修学旅行の定番となっている奈良・東大寺の大仏と大仏殿ですが、天平期に創建・造立された後,2度も戦火で焼かれていることはご存じですか。

現在ある大仏殿は、実は江戸期に再建された三代目を改修したものであり、天平期(初代)のものはもちろん,鎌倉期(2代目)のものとも全く違う様式で建てられています。

大仏様や大仏殿を焼くなんてとんでもないと思われるかもしれませんが、戦争が起こるとそんなことも言ってられないのかもしれません。

本稿では、奈良観光に行く前に基礎知識を得て、より東大寺大仏殿観光を楽しんでいただけるよう、東大寺大仏殿の歴史について簡単に説明したいと思います。 “【東大寺大仏殿焼失】戦火で2度焼失した東大寺金堂の歴史” の続きを読む