慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)は、文禄5年(1596年)閏7月13日子の刻に山城国伏見(現在の京都市伏見区)付近で発生した大地震です。
天下統一を果たした豊臣秀吉の隠居城として豊臣政権の中枢地となっていた伏見を中心として発生した大地震であるため、物理的な意味で豊臣政権にダメージを与えた地震です。
もっとも、それ以上に、晩年に失策を続けて求心力を失いつつあった豊臣秀吉政権に対し、政権崩壊に繋がる決定打をもたらした地震でもあります。
以下、慶長伏見地震発生以前から人心を失いつつあった豊臣政権において、慶長伏見地震がそれをどのように加速させたかについて簡単に説明していきたいと思います。 “【豊臣政権を崩壊に導いた慶長伏見大地震】” の続きを読む